9月4日 IN ニューヨーク

やっと更新できたよ〜

ノートパソコンと動画デジカメで、無理矢理ムービーも作ってみた。
今、私はこんな感じです@
という御報告でございます。

ZIPファイル、1メガバイト。
ここ(←クリック!)からダウンロードできます。

「窓の杜」で入手できるLhasa等で解凍すると、MOVファイルになります。QuickTimeで見てね。

ただ・・・ 動画の冒頭や途中で「8月4日」と言っているのは「9月4日」の間違いでおます。 (でも国際電話でファイルをアップロードしている為、訂正する気力は無し。)

明日からはフロリダ。ディズニーワールドの中にあるホテルに泊まって遊びます。
プールが楽しみ!
だってね、凄いのよ〜!
サメ(無害)と熱帯魚が沢山泳いでて、そこで一緒に人間も泳ぐんだって!

わーい。

ちなみに、フロリダでの滞在先は、ネットに接続できる環境に無い様子。それがちょっと残念だね。

まあ、また日本に帰ったら毎日更新いたしますので
それまで少しばかりお待ちくださいませね。

ではでは。

*****

<追加>

さっき路上で凄いもの見た!
流しのマッサ〜ジ屋さん。

18.5Kb
↑証拠画像
お客は、真ん中に穴の空いたクッションに顔を埋めている・・・・。

9月11日 夜

ただいま〜

帰途、デルタ航空で オーランドから中継地であるアトランタに着いたとき、成田への乗り継ぎ便がキャンセルになったとの機内放送が流れ、一時はどうなることかと思いました。

しかし空席のあったノースウエスト航空に振替され、ミネアポリスを経由し、無事東京に帰ってくることが出来ました。

いや〜、お疲れ。>私

それはさておき
オーランドのディズニーワールドは、東京ディズニーランドによく似た「マジックキングダム」の他 6つのエリアに分かれており(つまり単純に考えても東京ディズニーランドの7倍の規模っちゅーことかね?)、敷地は広大で、各アトラクションの照明も素晴らしく、本場の雰囲気がムンムンでしたよ。

10Kb
「キャラクターブレックファースト」にて
テーブルを訪ねてきてくれた白雪姫と一緒に。

9月12日 未明

午後9時過ぎにアメリカから東京の家に帰ってきてトップページを更新し、その後テレビをつけたところ恐ろしい映像が映しだされていた為、大変なショックを受けています。

数日前まで滞在していたマンハッタンでの大惨事。
そして民間の飛行機11機がハイジャックされているという状況等・・・。

現在マンハッタン周囲と、全土の空港が封鎖されているそうですが、 私がアメリカ国内で乗り継ぎを繰り返した後、成田に向かう飛行機に乗ったのは つい17時間ほど前の話ですので (本当にギリギリ間に合ったのね・・・)という感じです。

実家には知人からの電話がジャンジャン掛かってきているみたいです。

心配してくださった皆様、有り難う。
私は無事で、元気です。

それにしても
私がNYの街で すれ違った人が犠牲になっている可能性も大きいんだなあと思うと、胸が痛みます。

亡くなった方のご冥福を心より祈ると共に、被害がこれ以上大きくならないことを願っています。

9月13日 未明

半年ほど前の話になりますが
とある編集者さんが亡くなったのです。

その方は過去に一度、私のことを取材してくださった方で
そのときにしか実際に会ったことは無かったのですが

ときたまメールを下さったりして、地味な交流が続いていたのです。

そんな彼に
「CD-ROM写真集が出来たので、編集部宛てに送ります★」
ってな感じのメールを送ったところ

「現在入院中で、来週手術なのですよ」
という返事が返ってきたのです。

数週間後、またメールが来て
「手術は無事に終わったけど、生きる気力を失っている。どうか指南を」

とのことでしたので
私のような若輩者に、アドヴァイスなどできるはずもないのですが、誠意を持って可能な限りの返事を書かせて頂きました。

そして

「ありがとう。涙が出るほど嬉しかった。」
という短いメールが来てから数週間後

その彼が在籍する雑誌編集部の
編集長さんにお会いする機会があったので
私は何気なく彼の安否を尋ねてみたのです。

私が聞いた言葉は

「あ、あいつ?死んだよ。癌だったんだ。アハハ」

という信じ難いもので
瞬間、私の目は涙を流し

それからも時々、私は
亡くなった彼のことと
交わした数通のメールを思い出しては
指先まで痛くなるような哀しみに支配されるのです。

今回
アメリカでの悲惨な事件があり
幸運なことに一日違いで日本に帰ってくることが出来た私のもとには
「果たして伊藤はちゃんと帰ってきているのか?」
という心配をしてくれた友人達からの電話が続々と掛かってきていて

有難く思うと共に
改めて生死というものや、人間関係について考えさせらています。

私が死んでも、ショックを受ける人がいるのだ
と思うと

(生きなければ)
と思いますし

(まだ死ぬべきときでは無いのだな)
と体で感じているのです。

それに加え
「死」がやってくる前に、色んな人に会わなければ・・・
そして色んな人を大切にしなければ

と心から思っているのです。

9月14日 未明

NYに関するエンドレスのニュース番組放送時間帯が終わった後も、なんとなくNHKを付けっ放しにしていました。

風呂から上がってみると、電波試験放送としてショパンのピアノ協奏曲第2番の3楽章が流れていました。

(あら。これはマルク・ラフォレ氏の演奏じゃないですか。しかも1985年ショパンコンクール決勝ステージでの録音。)

そんなことが判ってしまった私は一体何者。
はい。中学〜高校時代、ラフォレ氏の来日時には授業をサボってまで「追っかけ」するほどの熱狂的ファンでしたの。

その当時の日本は、コンクール優勝者だったスタニスラフ・ブーニン氏ブームに沸いていた(野球場に於ける、拡声器をつけてのコンサートなど!)けれど、私はそちらには目もくれずに2位のラフォレ氏を支持していたのです。

そういえば最近はコンサート自体に行っていません。
何か聴きに行きたいなあ。

9月15日 未明

アメリカから帰ってきて数日。

割とね。落ち着いて日常を過ごしています。

現地の友人宅に滞在して1日1Kgペースで太ってしまったというのに、ダイエットする気が起きません。

時差ぼけのせいで、元来不規則だった睡眠がさらに不規則になってます。

てな感じやね。

今日は短いですが、ここまで。
また明日。

9月16日 未明

人の意見を聞くこと。
これは大切。

しかし

1受けたら10返す
と称せられる私の論癖は
「何か腑に落ちない忠告」を受けたときにも発揮されるようで

その点を、なんとしてもこれから自己改革せねば
と思っています。

今までは

その種の忠告をされた場合、それに関し言葉を返すということは即ち
「いや、そう思われるかもしれませんが実情はそうじゃないんですよ・・・」
という懇切丁寧な説明を行っているということなのだ。

などと思っていたのですが

いくらその忠告の当初の印象が理不尽でも
何か忠告されたという事実を冷静に受け止めてみると
 (やっぱ、自分がいかに「そうじゃない」と思っていても
 他人からは「そうである」というふうに見えているんだろうなあ)
としか思えないわけで

だからこれからは
どんなに反論したい忠告を受けた場合でも
(言ってくれて有り難う)
という気持を持って大きく深呼吸してから、分析して考えてみよう。と
そう心に誓ったのであります。

9月17日 未明

「私は貴方に共感できない。他をあたって下さい」

って友達から言われて
(嗚呼・・・)
って思ったよ。

会話が成立しないハネつけ方だな
ってね。

色々な思いが胸を駆け巡った。特に、
(私も昔、友達に向かって同じような台詞を吐いたことがあるなあ)
ということ等が。

こういうのって、心から言ってるわけじゃないんだよね。
昔の私も、今回の友人も、怒りの感情にまかせて「格闘技としての会話」を始めてしまったんだ。
自分の前に防護壁を作るとともに、相手に打撃を与えるための言葉を繰り出す。

まあ、それはそれで楽しかったりもするんだけど
やっぱ多少傷つけ合う結果になるし
そういうのはもう卒業しなきゃね。

歩くスピードの違う人間同士が歩調をあわせて進んでゆくために何より大切なのは
イライラと相手を責めることでもなく
むやみに叱咤激励しあうことでもなく

お互いに、相手のペースを分析理解する努力をし、どうやったら それと自分のペースとの折り合いを付けることができるのか、という最善の策を練ることなんだよね。きっと。
9月18日 未明

希望を失う時期というものは誰にでもあるものです。

願わくば、そこで立ち止まらないでください。
絶望して自分の手で人生を終わらせたりしないでください。

「楽しいとき」と「楽しくないとき」は、短期・中期を内包する長期スタンスで交互にやってきますよね。

それは皆、分かっている筈のことですが
いざ下降の波に巻き込まれてしまうと忘れてしまいがちなことだ、というのもまた事実なのです。

ねえ、

もう無理だ、と心から思ったならば
無理しなければよいのです。
心を骨折したのだ、と解釈して休めばよいのです。
精神・身体共に崩壊するよりは、そのほうが建設的ですよ。

えてして周りの人は
「そんなのは気分の問題なんだからさ、頑張れ!」
とかなんとか言うでしょうが、これは骨折してる人に強制労働を強いるようなものです。

頑張るのは、折れた部分が治った後の話なのです。

9月19日 未明

昔通ってた美容室に、久し振りに行ってみたら

作業が終盤に近づいた頃に
「やりやすいなあ」

って言われた。

「ん?それは『どういう髪型にしたい』とかいう私の希望がハッキリしてるからですか?」

と尋ねると

「うん・・・それにくわえて、雅代ちゃんの生き方そのものが昔よりハッキリしてるからね、やりやすいんだよ。」

という返事が返ってきました。

なるほろ。
そうして出来上がった髪型は、
前からみるとアゴ上のボブ、後ろから見るとロングヘア。つまり完全な姫カットです。

まだ長さが中途半端なので、後ろの部分が纏まらない感じなのですが、もう少し頑張って伸ばせばイイ感じになること間違い無しです。

むっふふ。髪の色も染め直し、とても落ち着いた雰囲気になりました。
美容師さんとカラーリストさんに感謝。

9月20日 未明

学研の「Make up Magazine」が本屋に並んでいました。

復刊おめでとう!
既に1,2号は発刊済みらしいので、早速取り寄せることにします。

思えば私が化粧し始めたのは19歳のとき。
右も左も分からない状態で 貪るように読んでいたのが、この雑誌でした。

しかし突然の休刊、数年のブランク。
私は悲しみつつも他誌に目を通し、視野を広げて研鑚を続けていたのです。

そしてついに感激の再会。
心から喜ぶとともに、誌面のさらなる充実を期待しています。

ちなみに、昨日は表紙のメイクを真似してみたよ。
目元のハイライトがテンコ盛り。
9月21日 未明

ええと、つまり姫カットとは
このような髪型なのです。

2.83Kb

前髪を綺麗に眉ラインで維持するのが大変そうです。
そもそも私の前髪には、真ん中で左右に分かれる生え癖があるというのに。

話は変わりますが、
今日大阪に帰ります。

リュックサックを背負って帰るのです。
そう、あたかも身体の一部であるように背負うのです。

これにはちゃんと理由があって、
どういうことかというと、もうキャリーバックには飽き飽きしたのです。
だって、いつまでも騒がしく後をついてくるんですもの。

私が歩く。
キャリーバッグがゴロゴロとついてくる。

私が立ち止るとキャリーバッグも止まる。

また歩くと
ゴロゴロゴロゴロ。

「ムキー」となって走ると
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!!!!!

「ムキームキー。キーー」
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!!!!!

一種の呪いのようです。

変な文章ですが、別に頭がおかしくなったわけではありません。
だって元々おかしいものは、これ以上おかしくなりようがありませんからネ。

ここで、今日のトップページを読むよりも有益な情報を一つ。

学研「デジタルキャパ」が発売されました。
先日ニューヨークから動画を配信したときのレポートです。
デジカメで撮った街の写真も盛り沢山。
是非是非、御覧下さいね。

9月22日 未明

学研「デジタルキャパ」が発売されました。
先日ニューヨークから動画を配信したときのレポートです。
デジカメで撮った街の写真も盛り沢山。
是非是非、御覧下さいね。

それに加え、インターネットラジオ
ネットアイドルパラダイス
も更新されております。
番組の最後に大切なお知らせがあります@


*****

さて。
実家に帰ってきました。

目の前に白いバラの花束があります。
葉や花びらにはが雫が沢山乗っていて瑞々しい。

造花であるのがまた好ましいですね。
だって枯れないもの。

それは父親(純朴)が買ってきたのだという。
最初は驚きましたが、今はなんだか彼の新たな一面を眺めているような気がして、ただシミジミとそれに見入っています。

9月23日 未明

昨日は知人達の集う食事会でした。
私の両親も一緒。

何故か皆さん一律に、以前にお会いしたときよりもイイカンジ(快活とか柔和とか理知的とか)だったような気がします。

食事の内容は、ベトナム料理のバイキング。

香草サラダやフォーを口に運んでいると、6月に訪れたときに私の胸を鷲掴みにした光景の数々が・・・蛇行するサイゴン川や ホーチミン街中の喧騒や いかにも生温そうなココナツジュースを大量に抱えて「ツメタイヨー」と売り歩く元気な少年 等・・・が脳裏に蘇り、とても懐かしい気分にとらわれました。

焼けつくような太陽は辛かったし 市場は臭かったし タクシーに乗ったらダニの襲撃をうけたりしたし、決して優雅とは言えないんだけど、何故か私をひきつけて放さないあの不思議な磁力。

ああ、ベトナムに行きたい。

9月24日 未明

久しぶりに大阪 梅田の街を歩きました。

駅周辺には相変わらず人間が溢れかえっていました。その人間達が発するエネルギーによって妙な攻撃性を帯びた独特の空気も全く変わりありませんでした。

一緒に歩いた某氏(関東人)曰く
「沼地を歩いたようなダメージを受けた」。

それは、まさに言い得て妙。私のヒットポイントも半分ほどに減りました。

でも、ネギ焼き(見た目はお好み焼きに似ているが大量のネギを含んでおり 外側がサクサクで中がトロリとした食感の食べ物)は美味いし、空中庭園から見る夜景は綺麗だし、やはり愛すべき場所なのです。

私の故郷だしな。

9月25日 未明

(株)ダイツーの取材で京都へ行ったついでに、木造の茶屋が並ぶ祇園の小路を散策しました。

静けさと麗しさに満ちた その風情。地面を踏むたびに、何層にも降り積もった歴史が粉雪のように舞い上がって 肩に降りかかるような気さえする場所でした。

ホンマに、東通商店街(24日の雑感参照)とはエライ違いよ。人間に個性があるように、街にもそれぞれ個性があるのだということを強〜く再認識いたしましたわ。

そんな中、ある茶屋の玄関に
本日のお座敷に出る芸妓の名札が掛けられておりました。
その名も「まめ菊」。

・・・・・!

よいですね(←遠い目)
まだあどけなさの残る顔に白粉を塗った彼女の顔が目に浮かぶようです。

デヘ。

しかし、こういう敷居の高そうな店に足しげく通う客というのは一体、どういう人たちなのだろうか?

そしてまた、こんなにギッシリ並んだ茶屋の、需要と供給のバランスは如何なのだろうか。赤字出てないのかなあ?

そんなに客人口が多いとも思えないんだけど。
謎であるよ。

9月26日 未明

心のなかが
ちくちくするのです。

外に出れば
外の空気がちくちく私を突っつくのです。

人に会うと
その人の口や目や手や体から
大きなちくちくがいっぱい出てきて、
私に刺さるのです。

家に帰ってね、逃げ込むようにして部屋に籠もってね、
一人で、刺さったちくちくを一生懸命抜くんだけど
いっぱい胸の中に血が溜まっちゃって
私はぐったり横になってしまって
動けなくなるのよ。

それが精一杯なの。

それなのにね
植物みたいに寝転んでいるのに
頭の中に昔のこととかいっぱいいっぱい、
急に鮮やかに蘇ってきたりしてね

それらが今度は、シュラスコを焼く巨大な串のように私を縦に貫くのよ。
2重にも、3重にも。

(そんなにしっかり串打ちしなくていいのに。。。)
シュラスコの気分で私は苦笑しているのです。

シュラスコは焼かれて、
だれか若い中東系の青年にでも食べられてしまうのでしょうか。
それとも、焼いて焼いて焼き尽くされて、
灰になってしまうのでしょうか。

どちらにせよ、跡形も無くなる。
ただ、串だけが残る。

そうなれば、ちくちくするのも終わりなのです。
ちょっとおかしなハッピーエンド。

9月27日 未明

今、流れ星が流れたとしたら
お祈りすることは決まっています。

 「ほかほか。
  ほわんほわん。
  ふわふわ。
  するり。
  そんな感じの、優しい女の人になりたいです。」


もし
26日の雑感を見た人に
私のちくちくが うつってしまったならば
謝ります。
ごめんね。


***


トップページのデザイン変更計画進行中。

9月28日 未明

「私の頭にはタケヤ味噌しか入っていないけど、
 そのおかげで割と素直なのよ」

というメールを携帯で友達に送って、
そのあと

(ほんとうにそうだなあ)

と妙に納得してしまいました。
タケヤ味噌でよかった。

うふふのふ。

家に帰ってチャイコフスキーをメドレーで聴きました。

チャイコフスキーはきっとネバネバの軟弱ネクラ君だったのだろうな。
それを溢れさせ、作品として成立させてしまったというのが凄いですね。

9月29日 未明

代理人(母)に頼んで掲示板にも書いてもらったけど
昨夜はPC・プロバイダ共に絶不調で
更新が出来ませんでした。

だから珍しく昼に更新作業を行ってます。

テレビに目をやると、「今いくよ・くるよ」が漫才をやってます。

・・・・あたしが小学生の頃から、あまり見た目が変わらんなあ。この人達。

9月30日 未明

11.5Kb

↑クリック★

(株)ダイツーWEB SITE
「まさぽんのカーライフレポート」
更新されてます。

今回は、私の祇園散策ポストカードプレゼント企画もあるよ。

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