11月1日 未明

私は自分を信頼しているし
自分で考えて決めたことはやる。
だから決して後悔しない。

反省はするけど、後悔はしない。

自分が決めたことによって
苦しいことが起こっても
痛い思いをしても
しばらく動けなくなっても
それは自分が決めたことに伴う結果なんだもの。

険しい道を登り手に入れた蜜壺の中に入っていたのが蜜と蜂だったとしたらそれは少し不運ね。
でも、リターンに伴うリスクは甘んじて受け入れるわ。

そうして今日も新しい蜜壺を探して手を伸ばす。

11月2日 未明

私はすぐに退屈する。
忙しいときでも、何かに退屈する。

とりわけ、愚鈍な自分や進展しない人生に退屈する。

だから色々なことに集中する。
退屈しないように試みる。

でもやはり時たま、どうしようもなく存在自体が倦んでしまう。

そんな中、私の心を捉えた思いつきは
逃げるということ。

「逃げよう。」
なんて素敵な響きだ。本当に素敵。

その言葉は後ろ向きなものではなく
生きる力に溢れているような気がした。

日常の惰性を蹴り飛ばして新しいものを見つける。

というわけで
そのうち、仕事に区切りがついたら
数日間消えます。

11月3日 未明

週末。
別に好きでも嫌いでもない。
曜日感覚が無いに等しいので。

ただ、電車が空いているのは気分が良い。
通勤ラッシュは本当に苦痛だものね。

そういえば昨日の夕方も、まだ遊んでいる人が多いせいか(フライデーナイト・フィーバー!)、わりと電車は快適だったわ。座ることは出来なかったけれど、このような中程度の混み具合なら押し潰されて「ぐえぇ」と鳴くことも無く、本さえ読んでいれば時間はあっという間に過ぎてゆきます。

ちなみに昨日読んでいたのは
宮本輝さんの「五千回の生死」。

電車から降りて、大規模な書店で本を2冊買いました。そのうちの一冊は「論理トレーニング101題」というものです。いつか逃亡(昨日の雑感参照)するときに持って行こうと思います。

アート書籍のコーナーでは、魅力的な絵画集が山積みになっていて、パラパラとめくるだけでも良い気分になりました。でも、こういう類の本って高価なのよね・・・マメに通って立ち読みしてやろう。ふふ。

その後、久し振りに外食した私は
定食の御飯を3回もオカワリして
ウエイトレスのオバサマを狼狽させてしまいました。

ああ、こうやって挙げてゆくと
昨日はまさしく

読書の秋
芸術の秋
食欲の秋

全てが揃った一日だったのね。

来週はもっと、そこらを追求して楽しんでみよう。

11月4日 未明

朝、外に出ようとしたら雨の音がした。
(わりと強く降ってるな・・・)

そう思って靴を脱いで部屋に戻った。

昼、窓から外を伺ってみた。
まだ早い時間だというのに暗くて様子がよく分からなかったので、建物の玄関先まで出てみた。自転車置き場のトタン屋根の先端から、雨水が勢いよく地面に流れ落ちているのが見えた。

迷わず靴を脱いで部屋に戻った。

夜、諦めがつかずに部屋の扉を開けてみた。
雨の音は相変わらず盛大で、
またしても私は靴を脱いで部屋に戻った。

雨を好きになろうと、今までどれ程努力してきただろうか。
黒い雲の持つ「強い感じ」や、濡れた街の発する「諦めた感じ」、顔を打つ水滴が私に与える「話し掛けられている感じ」の魅力について、どれだけ感じて考えてみたことだろうか。

今、冷蔵庫には食物が無い。
でもやはりどうしても、雨の日には出掛けたく無い。

もういいや。
もう諦める。
好きになろうと努力するのも、しばらく止める。

私は雨が大嫌いで、大の苦手。所詮それが真実なんだわ。

11月5日 未明

近所のつつましい商店街をまっすぐ歩いてゆくと、それに従って面白いくらいにどんどん店の規模が小さくなり、植わっている街路樹まで小さくなってゆきます。

その一番奥まった所にある閑散とした暗い路地に、少し気の早いクリスマス風イルミネーションが施されていました。

よりにもよって、何故ここだけ?

密度の低い豆電球コードを巻きつけられて疲弊した街路樹と、それに照らし出される色落ちした看板や剥がれかけたポスター。フェンディばかりが置かれたブランドショップのショーウインドウ。

寂しい景色が なおさら寂しく心に迫り、思わず泣きそうになりながら足早に横通りへ抜けたら、大きな電気店の煌々とした明かりが見えて心底ほっとしました。

そこでつい セラミックファンヒーターを買ってしまって、今は暖かな部屋で毛布に包まりながらハーブティーを飲んでいます。

11月6日 未明

■独り問答■


「これは何ですか?」

「私の手です。昨日、甘皮の手入れをしたばかりなので、綺麗な状態です。ちなみに爪はスクエアに削ってみました。」

「では、これは何ですか?」

「私の腕です。上腕はガッシリしていますが、手首に向かって急激に細くなります。この強さと優雅さを併せ持ったようなラインは母から受け継いだものです。母は祖母からそれを受け継ぎました。」

「なるほど。・・・これは何ですか?」

「私の目です。これは完全に父から受け継いだものです。形といい、眼差しといい、睫毛の長さといい、類似型としか言いようがありません。」

「あなたは両親から色々なものを貰って、生きているのですね。」

「そうですね。とても感謝しています。そして、その両親に色々なものを与え、結果として私にも与えてくれている祖父母、さらには何代にも渡って続いてきたこの血族というものに、心が熱くなるような思いを馳せています。」

「祖先を敬う、ということですか?」

「いや・・・そういう懐古もありますが、
(いつか私も、この先ずっと生まれ続ける我が血族の子孫たちに色々なものを与えてゆくのだな。私のこの気性、この髪、この背中、足の指先の形に至るまで必ず、なにかしらが受け継がれてゆくのだな)
って、そう思うとなんとなく心が温かくなるというか、
『ひとりの人生』 という狭い枠を超越して
『延々と続く命の鎖』 というものに融合することが出来るような気がするのですよ。・・・
・・・つまり私は 『伊藤雅代の欠片』 を、愛する子孫に分け与えてゆくことによって、永遠に生きるのです。ある意味に於いてね。そして、それは誰でも皆、同じことなんですけれどね。」

「新境地を開きましたな。
どうです、今度ジックリと家計図でも見てみますか」

「ええ。そうですね。是非、そうしたいと思います。」

11月7日 未明

さあ私は何処へ〜♪

っていう歌をね、歌ってました。部屋で。

私は何処へ。
マジで何処へ行くんだろうね。

「人事を尽くして天命を待つ。だからなるべく自然体。」

っていうのが最近のモットーなんだけど
なんだか心もとないわよ。

とりあえず
穏やかな顔をした優しい死神(きっと見た目は30代で、仕立ての良いスーツを着ている)が私の部屋の扉を叩くまで、楽しく有意義に過ごそうと思っています。

生きている意味、というものは
それが終わって初めて判るのかも知れぬ。

「終わってもまだ思考できるのかね?」
という疑問については
論証する術も無いので却下。

11月8日 未明

ちょっと風邪気味で、一日中寝てました。

夢の中では、宇宙旅行をしていたよ。

宇宙船が爆発して、私と友人だけが地球に帰還出来たんだけど、その友人は精神的に疲弊して自殺してしまった。
廊下でうずくまって泣いてるところで目が覚めました。

・・・・・もっと楽しい夢が見たいっちゅーの!

その後、また眠りに落ち

今度は体育館みたいなところに居て
私は猫のヌイグルミになってて
女の人の指図に従って
体育館の中央に積み上げられた土に溝を掘ってた。
掘り終えると、一番頂上にある蛇口をひねった。
そうすると溝が川になった。

でも、その川は一般客に対しては「人工ではなく自然のものだ」と言って公開されることになり、現場の担当である私の元には客からのクレームが殺到。

「こんなの、どう見ても人工じゃん」
そういって絡まれてるところで目が覚めました。

訳ワカランわ!

今回に限らず、寝てるときに見る夢ってあまり好きじゃないわ。だって、大抵ロクなもんじゃないもの。

ドラえもんの道具で、「好きな物語を選んで、夢で見ることができるカセット」っていうのがあったけど、是非ともあれが欲しいわ。
そうすれば毎晩、気楽な旅行とかグルメの夢を見続けることでしょう。

11月9日 未明

テレビで、モデルの女の子がお菓子を作ってる。

「お菓子大好きなんです〜。
 お菓子は頻繁に作ります。
 御飯は、あまり作りませんけど・・・。」

とか言ってる。

私の知人であるモデル業の女達にも、菓子好きが多い。
しかも、奴らは間食までする。

何故だ!?
何故、彼女たちは華奢な体型で、肌も荒れないのだ?

いいなー。めっちゃ羨ましいなー。
私は普段、全くといって良い程、脂っぽいものや菓子を摂取しないし間食もしない。飲むものも茶か水だけだよ。御飯も毎日、自宅で玄米炊いてまーす。

それでもムクんだりニキビが出来たりする。

一回で良いから、色んな種類のチーズ(甘いの/塩辛いの/クサイの/薄いの/濃厚なの/クリーミーなの/etc...)を皿に「超特大盛り」にして好きなだけ食べてみたいよ。合間にはティラミスなんかも食したりする。

そんなことしたら一ヶ月くらい体調崩すだろうな。

ちなみに
牛肉や羊肉を沢山食べると、翌日に熱を出しちゃう。
つまりは否が応でも健康的な食生活を強いられる体質なのね。

まあ、いいや。
スケジュールに合わせて、たまにはリスクを負うこともするし(「死ぬ気で食べる焼肉大会!」等)、私は自分の特性を分析した上で 最大限に楽しめるであろう境界線や選択肢を模索すればよいのです。

この方法論って・・・
あ、株と同じなんやな。

11月10日 未明

私は本が大好きです。
いつでも文庫本を持ち歩いていますし、
資料になるような本も地道に読みます。

でも、ほんとうは難しい本よりも、絵本が一番 好きなのです。

というわけで 来年の年賀状は
自分で描いた おうまさんのイラストに 短いお話を添えた、ミニ絵本のようなものを作ることを決意しました。

ここ数年、年賀状など面倒臭くて一通も出してはいなかったけれど
それを 『楽しげな作品を作って、年始のプレゼントとして大切な人たちに贈る』 イベントとして捉えてみると、あら不思議。考えただけで心がわくわくしてきました。

WEBにもUP出来るといいなー。
お正月が待ちどおしいです。

11月11日 未明

日がすっかり落ちたあとに外に出て、小さな薬屋さんやお弁当屋さんが並んでいる道を歩いていきました。

私の横を、車がばんばん通り過ぎてゆきます。
前方から車が一台走って来るたびに ヘッドライトが ぱあっと光って、とても綺麗でした。

私は本屋さんに通じるその道をよく通るし、時間帯は大体暗くなってからなので、これまでも同じような光景を何度か目にしてきました。

でも
嬉しくて息を弾ませ、早足で歩きながら見たヘッドライトの洪水と
涙を流し、両手を力なくぶらさげて歩きながら眺めたヘッドライトの洪水は

似ているようで、全く違う思い出の景色です。

見る者の感情(主観)によって、物の表情は変わる。
私は明日はどんな思いで街を眺め、胸に刻んでゆくのだろうか。

11月12日 未明

高校時代からの独り暮らし歴、7年。

日々の、お料理。
日々の、お掃除。
日々の、お洗濯。
日々の、お買物。

やっと、これらを
なんとかマトモに行えるようになったような気がします。

でも、まだ部屋のお片づけが全然出来ないんだけれど・・・。

昨日は玄米0.5合を器に盛り、春菊と豚をダシ卵でとじて上に乗せ、丼にしました。経済的で楽チンなお料理が信条です。

掃除は気が向いたときに「四角い部屋を丸く掃く」程度に掃除機をかけるようにしてます。

洗濯は、以前は数日分を一気にまとめて洗って、それを全部乾燥機にブチ込んでいたのですが、あまりにも乾燥機に掛かる負担が大きかったようなので 「少しずつ洗って、部屋に干す」 という方法に変えました。

食材の買出しは、雨が降ってなければ毎日行くよ。気分転換も兼ねて、お買い物気分で駅前に出かけるのです。

私は「その日に食べたいもの」じゃないと食べないので、沢山買いだめした食材などは冷蔵庫の中で長期に渡って眠ってしまう運命を辿ってしまう為、あくまでも、冷蔵庫の中はいつも、ほぼ空っぽじゃなきゃいけないのです。だから必然的に毎日買い出し行かなければならないのです。ちなみに昨日は納豆3パックと春菊と豚肉と卵を買ってきました。

あー何を書いてるのか良く判らなくなってきた。
眠い。眠いので寝ます。
おやすみなさい、また明日。

11月13日 未明

13日は久し振りに、モデルになります。

某社の新製品の、カタログの仕事なのです。
ふふ。楽しみ。

朝の9時から夜7時まで、衣装を変えたり場所を変えたりしながらの撮影。

顔に疲れが出たらいけないので、まだ日付が変わっていない(現在12日深夜23時)のですが、早めに更新して寝ます。

また明日。

11月14日 未明

「頭の中で反芻して簡潔化して核を抽出するのです。

 自分が発した言葉を思い出すのです。
 相手が発した言葉を思い出すのです。
 自分がとった行動を思い出すのです。
 相手がとった行動を思い出すのです。
 一連の映像を思い起こすのです。

 幼少時代から20分前のことまで
 ランダムに、しつこく
 引っ掛かるところは特に何度も、何度も。

 何度も何度も何度も。
 反芻に次ぐ反芻。

 そうした上で、それをふまえて
 また言葉を発し行動をとります。」


伊藤さんは、何に時間を割くのですか?
と訊かれたとき、何気なく こう答えました。

自分で言った後に、
「ああ、そうだなあ」
と思いました。

まったくもって
私はほぼ一日中、記憶を反芻しています。
それで私が成り立っています。

11月15日 未明

「私は記憶の反芻によって成り立っています」

という14日のトップページに対する質問が有りましたので、今日はそれについてもう少し書いてみたいと思います。

私は、電車に乗っているときは本を読んでいますが、そうでないときは記憶の反芻に没頭しています。
部屋にいるときは、寝ているか、勉強しているか、本を読んでいるか、映画を見ているか、音楽を聴いているかしており、そのときは無心でそれに没頭しています。その合間にはまた記憶の反芻に没頭しています。

様々なシーンを生きている自分の映像によって 今までの人生の時間が一連の繋がりをもったものとして認識され、私は伊藤雅代という人間を実感し、知ることが出来ます。

また、映像や言葉を繰り返し、環境を数回疑似体験することによって、当初は気付かなかった色々なことが見えてきます。出来事の核心が掴み取れたときなどは、頭の上に『電球マーク』がポンと浮かぶような感じがします。実に興味深い ひとときです。

そしてなにより、思考しているという事実そのものによって、自分が現在この瞬間に実在しているということの証明を得ることが出来ます。
これはまさしく 「我思う、故に我有り」 ですね。

あと、過去をふまえて、近い将来に訪れるであろう状況と、自分が陥るであろう精神状態を予測して対応をシミュレートするのも好きです。


掲示板にて、これらは「内向きの私」であるというご指摘を頂きました。では、「外向きの私」とは、どのようなものなのでしょうか。

仕事をしているときは、
必要とされる能力を持った人間に なりきります。

他人に会うときは、
無難なシチュエーションもしくは可能な限りのエンタテイメントを提供しつつ、相手と空気を観察して脳裏に焼き付けています。

どちらも場合も、家に帰る道中から、得たばかりの新鮮な記憶を素材として反芻行為に没頭し始めます。
「外向きの私」というのは「人に見せる伊藤雅代」であり、つまりは「作品」です。 その作品のイメージは「多面体のクリスタル」。
相手に合わせて切り替えられる多面体の面数を増やしたり磨いたりするのは大切なことだと思います。 (「キャラ」という表現を使うと判り易いかもしれませんね。皆さんもキャラを持っていると思いますし、それには多面性があるでしょう。)

まったくもって
人前で納得のいく演奏をするためには一日何時間も練習しなくてはいけないのと同じことで、納得できる多面体クリスタルを作るためには相当な努力が必要です。(実は永遠に完成しなかったりするのだが。)
20歳くらいの頃はそれが辛くて、「人生は苦行だという仏教の教えは本当だわ」などと思って悲壮な表情をしながら毎日を消化していたものです。

てなわけで
私という人間は(他の人はどうか、ということについては分かる術も無いので割愛)掲示板に有った表現を借りると「内向き」の部分が98%です。

「私は記憶の反芻によって成り立っています」
というのは、そういう素地から発生した言葉なのです。

11月16日 未明

私が普段使っている言葉(北大阪弁)でトップページを書いたらどうなるだろう。一体、理解してもらえるのだろうか?

今日はそれを実行してみます。

喋り口様をなるべく忠実に再現するために、実際に話しながら書きますので、まとまりの無いものになると思われます。あらかじめご了承ください。

***

いやほんまに。
なんも書くことあらへん。
しかも書きにくッ!喋りながらなんか書けるかい!
んなもん自分で撒いた種やがな!
しゃーないで。
ま、気を取り直して本題いこ。

文章・・ってね〜、適当なんはいくらでも適当に書いたらええんやけど、ちゃんとしたのはね、書こ思て書けるもんちゃうしね〜。

有るもんは出んねん。無いもんは出やへん。そこには私の力の及ばん部分があってな、 「むこうから、来よん」 ねん。タドンみたいなカタマリがな。

私は心の目前に有るカタマリを必死に書きうつすだけの話や。

あの、ほら、石仏掘る人が言うててんけどな、
それいつも思い出すねんけど、
「私が仏様を作るのではないのです、石の中に仏様が入っているのを、ただひたすら取り出すのです」
っていう言葉〜。
ええよなあ。
あれ めっちゃ そう思うわ〜。

ねぇ。

てな感じで、そろそろ苦しなってきたし
とっととシめときましょか。
ついでに挨拶もしとこ。
このページ、よぉまぁ 4年間も続いてきたわ。
ここ見てる人みーんなのオカゲや、って思てます。
ありがとう。

ほいだら また明日@

11月17日 未明 /よくある会話

■あなたは東京に出て随分たつのに関西弁が抜けないのですね

「一時期は、キャスターになりたいと思っていたので標準語を勉強していたし、日常に於いてもなるべく標準語を使っていました。でも今は、司会の仕事などで標準語を使うことを指定されたとき以外は、何も意識せず関西弁で喋っています。」

■何故ですか?

「私は自分自身を商品化していますが、標準語を喋っているキャラよりも関西弁を喋っているキャラのほうが感情が乗るし、伊藤雅代らしいし、イチオシだからです。」

■なるほど。でも今は標準語ですよね?

「緊張しているときや、説明を行うときは標準語になります。リラックスしているときや、感情を表すときは関西弁になりますね。
標準語、関西弁、それぞれ特徴があって、私にとって前者は礼儀正しさ・冷静さ・整然とした感じ・・・等を表すのに適しています。後者はフィーリング・勢い・感情の起伏・猫撫で声風味・・・等を表すのに適しています。」

■今は説明しているから標準語なのですか?

「それに加え、緊張してますよ。人と話すのは緊張します。まあ、そのうち関西弁が出てきますから、安堵具合バロメーターとして観察していてください。ふふ」

■まあ、自分に合った言葉を選べるっていうのは良いことですね

「そうですね。私はバイリンガルなんです。」

■え?英語も喋れるんですか?

「いや、標準語と関西弁のバイリンガル。」

11月18日 未明

10.3Kb


絵を書いていたら、いつのまにか午前3時・・・
今日はこれをUPして、もう寝ます。

実は、これは公開するつもりで描いたんじゃないんだけど
もう、あたしゃ、すぐにでも寝たいんです。
ごめんなさいね、濃い顔で。

明日はまた元のトップページに戻すから安心して下さいまし。


11月19日 未明

目の前に
「お勘定はテーブルにて承ります」
と書かれた小さなシールが張ってある。

原宿の裏通りにある某カフェ。店内には海外のアート本や写真集等が沢山置いてあり、それらは読み放題。ここを知っていれば、日本橋の丸善書店に高価な洋書を立ち読みするため足しげく通うという労力を削減することができます。

夕食のパスタを食べ終わった私は、うっとりした気分でコーヒーを飲みつつ 美しい画集に見入っていました。

「ごちそうさま」
声につられて顔をあげると、目の前の席に座っていたカップルが食事を終え、男性が財布を取り出して 店員に代金を払おうとしていました。

男性 「あ」
女性 「?」
男性 「金足りない」
女性 「・・・・」

男性は焦って小銭入れも取り出し、テーブルにぶちまけて何とか金額を合わそうとしています。一方、女性は明らかに機嫌を損ねた様子で後ろを向いてしまい、一言も発しません。

軽く肩をすくめて画集に視線を戻しつつ私は思いました。
こんな女とは別れろ。

11月20日 未明

カウンタが140万を超えました。
すごいなあ。

1400000。

一瞬見ただけでは桁数かぞえられへん。
もし、こんな数字が一日分のギャラとして預金通帳に刻まれたなら小躍りしますわナ。

「継続は力なり」って感じやね。
そして、心から皆様に感謝。

これからも宜しくお願い致します。

11月21日 未明

1.7Kb


満月よりも弓張月が好ましく思える。
昼間よりも夕方が好ましく思える。
海と川は同程度に好ましく思える。
岩と木は同程度に好ましく思える。
生と死は同程度に甘美で残酷に思える。


11月22日 未明

私が連載記事を書かせて頂いている
学研 デジタルCAPA が発売されましたよ。
今回は前回に引き続き、動画デジカメの可能性を探るの巻。

「愛用機の説明書を読むと 『パソコンを使わずとも、本機のみで静止画を加工したり動画を編集したり出来るので御座います!』 って感じの力説がされてるけどさあ、それって実際 ドーよ?使える?」

てなことを検証するために、ピロピロ遊んでます。

作成したムービーは私のWEBに掲載することになっているのですが、11月の哀愁悲恋物語 「イルカさんと ヒヨコさん(邦題)」 の公開は私が東京の家に戻ってVAIOの前に座るまで数日だけ待っておくんなまし。

今は大阪に居るのでね・・・。

ただ、ストーリーに関しては既に
デジタルCAPA 誌上で独占公開されてます。うぷぷ。

ちなみに原題はフランス語で 「double visage」 。台本もフランス語で書いた上にセリフまで全てフランス語だったんですけれど、大丈夫、私の声で特別に日本語吹き替えを施してありますので ご安心ください。

さーて。
ぽき(←首の骨を鳴らす音)

上記のうち
どこからどこまでが嘘なんだろうね

11月23日 未明

今 読んでいる本の中に、独りで外食している女性について述べられた興味深い一節があった。

曰く、

「 『私が独りぼっちでレストランに居るのは座って本が読みたいからなの。そしてちょうど夕食どきだからなの。べつに、相手が居ないってわけじゃ、ないのよっ。』 という過剰な演出を周囲にムンムンに撒き散らしている場合が多い」

というのだ。

私は、(へぇほぉ〜) と気の抜けた感嘆詞を口から発しつつニヤついてしまったわ。 と同時に、某店のカウンター席で 「丼の梅。」 と、こなれた口調でウェイトレスに注文を伝えている自分の姿を思い出していた。

私がよく利用するその店のメニューには定食と丼物があり、それぞれ松・竹・梅の3グレードに分かれているのだ。当然、私が頼む梅丼は一番安い。

ちなみに、この類の「ワッサァ〜(←関西的形容詞)」とした雰囲気の店でスマートに注文を実現するポイントは、その店で使われている品名の略称を覚え、近くに居るウエイトレスを見据えて低めの声でハッキリと発音すること。
そうすれば大抵一回でこちらの意向が伝わり、即ち梅丼も早く運ばれてくるというものさ。

ふっ。
「女 独り飯」 は私にとって日常だよ。そんなことについて論じられるようじゃ、まだまだ日本も甘いな。

しかし、冒頭の本に記されていたような女性 ( 「独りだと寂しい」 っていうのとは、また違うんだよね。あくまで お洒落な女友達か 素敵な男を同伴しているのがステイタスって感じ) が多いことは確かだね。なんでだろう?

自意識過剰の女性諸君よ、殿方のエスコート無しで飯を食うことは恥ではないのじゃぞ。ラーメン屋にもフレンチレストランにも単身で行って良いのじゃ。 ノープロブレム。ザッツグレイト。

正直な話、ほんまに楽やで。
一回やってみ。

11月24日 未明

どーやら私は「恐い人」だと思われてるらしい。
他人からも言われるし、掲示板でもそういう類の書き込みを時たま見かける。

というわけでね、
今日は声を大にして言わせて頂きますが

私は滅多に怒りませんよ。

・・・まじでデカいな。フォントサイズ6、おそるべし。

あ、話を元に戻しますが
私の文章を読んで 「伊藤雅代は神経質で気性が激しい」 と感じる人々は確かに的を射てるけど、それを 「よく怒る」 とか 「恐い」 とかいうイメージに繋げちゃイカンと思うのですよ。
You see?

正直な話
私の攻撃性は自分自身の内側に向かって沈んでゆくので
それが他者に向かうなどというのは稀有な事例です。

そして、何事にも干渉しない主義なので、様々な思想や言動に対しても寛容です。(これは別に私が優しいからではなく、私自身の心を守るために必要なの。)

ただ!

外見は、確かに恐いんだよな。
ここがポイントだ、ちくしょうめ。

「私の正面に座ると 『蛇に睨まれたカエル』 状態になるので、出来るだけそれは避けたい」

というセリフを今まで何度聞いたことか。

人を見た目で判断しちゃイケマセン!
めッ!

あ、もしかして
こんな説教したりするから恐いって言われるのか?

そりゃー、あんさん
思ったことはハッキリ言うわよ。

そのかわり微塵も思って無いことは言わないわよ。
こういう人のことはねえ、「恐い」 じゃなくて
「裏が無い」
「竹を割ったような」
って表現するのが適切なのようおうおうー。

なんてね。
「善良性を自己申告する者は即ち愚者だ」
とは常々私が思っていることだけれど
今日の私はまさしくそれだ。
うひゃひゃ。

愚かな まさぽん。
略して「愚かぽん」

11月25日 未明

掲示板に ドバドバ 書き込みがあって相当嬉しいんだけど、それと共にレスの滞納が気になってシューンとした気分になってしまっている私。ほんと有難う。そして御免。

さて

昨日は色々な人のことを考えていました。

間宮さん(モデル)の、いつでも細くて長い手足。人に見られることを前提として研ぎ澄まされてきた、優雅な立ち振る舞い。目の前に現れた瞬間、視野全体に「ふわぁっ」と柔らかい大きな花が咲くような錯覚を私に与える、あの暖かい包容力を伴った波動。彼女は魅力的だ。

某氏(仮名)の、独特の笑い方。はぐらかすような、それでいて本当に笑っているような、不思議な笑い。しかも糸のように目を細めて笑うから、ますます心が読めない。声の調子も、いつも機嫌よさげだ。微妙に怒っているときでも良い声を出す。つくづく 「うまいなあ」 と思う。これも環境によって研磨されてきたものなのだろう。

某氏2(仮名)の、最後の視線。諦めに満ち、何かに対する怒りを含み、激しく思案し続けているような、沢山の要素がごちゃまぜになった視線。思い出すたびに「人生は、わりと複雑なんだなあ」ということを、私は改めて認識する。あんな哀しい表情をした彼の胸中にはどんな言葉が渦巻いていたのだろうか。そして今は何をしているのだろう。
・・・・

一日中そんなことを考えていて
締めくくりに母の記憶が脳味噌いっぱいに広がりました。

彼女は私に、これといった躾は施さなかったけれど
目が合ったときには、必ず微笑んでくれた。
私の定義する 「幸福」 の原点は、あの笑顔にあるような気がします。

11月26日 未明

ビョークの 4th アルバム
「ヴェスパタイン」 を買いました。
そして聴きました。

私の、彼女の 2th アルバム 「ポスト」
および 3th アルバム 「ホモジェニック」
に対する印象は

「嗚呼、まるでハイテクな戦車のようだわ」

というもので
私はその破壊的パワーに心底惹かれていたのだけれど

今回は少し違うようです。

どう違うのか、ということについては
それを語る権利が有るほどの
お偉い立場では無いので
述べませんが

ただ、率直な感想として

1:「成長する」 とは、こういうことなのだなあ。
2:彼女が生きている時代に私が生きているというのは幸運なことだなあ。
3:次の作品が楽しみだわ。

と思いました。

ご満悦。

11月27日 未明

どうしても欲しい画集があったの。

手がかりは、
私の脳裏に焼き付けられた表紙の映像と
1ページ目に記されていた記号類だけ。
画家の名なのか。題名なのか。出版社名なのか。
それすら不明。

だから、書店で問い合わせても
いままでは
「無いです。検索しても分からないです。」
と言われてきたの。

でもね、昨日
それをドイツから取り寄せる手続きが完了したよ。

昨日たまたま立ち寄った
大阪梅田にある書店 「紀伊国屋」 の某店員さんが
物凄く頑張ってくれたおかげです。

心底嬉しい。

入荷まで3ヶ月掛かるらしいけど
そんなの全然問題無いわ。

あれが手元に届いたならば
毎日 毎日 丁寧に拭いて、うっとり撫でて
きっと全頁を模写します。

生き永らえる喜びが一つ増えたわい。

11月28日 未明

昨日は、デジタル CAPA 用の動画素材を撮るために
某所へ出掛けました。

中腰でデジタルビデオを操るのは母。
レンズの前で怪しい動きを繰り広げるのは私。

そこは大規模な公園だったのですが
幸運なことに誰も居ませんでした。

いや、正しくは
近寄ってきませんでした。

途中、ただ一度だけ
あどけなき瞳を持つ幼女が 指をしゃぶりながら興味津々な様子でこちらを眺めていたのですが、 次の瞬間、疾風のように現れた母殿によって遥か彼方へと連れ去られてゆきました。

ふふふ。
どうやら本当に警戒されたらしいな。

詳細は12月20日発売のデジキャパにて。

11月29日 未明

5,4,3,2,1,

つまらない自我よ消えてしまえ

0.(弛緩)


5,4,3,2,1,

つまらない執着よ消えてしまえ

0.(弛緩)


5,4,3,2,1,

消えてしまえ・・・・

0.

0.・・・・・・・


夜、布団に入って、天井をぼんやりと眺め
頭の中でカウントダウンしながら 眠りにつきました。

朝起きたら、右手の甲に5つの跡が付いていました。
5から1までを数えているときに
左手の爪を突き立てていたらしい。

ひそやかな祈りの残り傷。

11月30日 未明

さて!
ついに月末!!
しかも年末!!!
恐ろしい!!!!!

年末進行も恐ろしい!!!!!

パニッーーーーーク!!!!!!

あたふた。あたふた。

そして、何故かこういうときに限って
やらなくてもよい用事を増やしてしまうのです。
例えば部屋の掃除とか。

あたふた。おたおた。

と、とりあえず風呂に入って落ち着け。
そしてトレーシングペーパーを一枚、大切に取り出して
デッサン入門っていう本を開いて・・・・・

って、違う!
お絵描きしてる場合じゃねーーーよ!

早く化粧して、出掛ける準備しろ!
急いで帰ってきて原稿書け!

まったく。
しょうがないねえ。
昔っから計画性が無いんだから、この子は。


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