1月1日 午前零時


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お馬さんは走る
お馬さんは跳ねる

お馬さんは歩く
お馬さんは立ち止まる

そしてお馬さんは、また走る。

そんな感じで
私も楽しく進んでゆきます。

2002年、あけましておめでとう!
今年も宜しくお願い致します。

1月2日 未明

昨日は
ボンヤリと雑煮を食べて
ゴロゴロ寝転がって
映画(愛は静寂の中に)と
TV(筋肉番付)を見ました。
まさに寝正月。

今日は初詣に行く予定です。

1月3日 未明

昨日は大阪市内の、小さな神社に行きました。

入口・賽銭箱・オミクジ売り場・出口、それぞれが十数メートルしか離れていないという簡潔さのおかげで手際よく初詣を終わらせることができ、混雑状況も酷くなく、とても心地良かったです。

その後、父母と共に 神社の近くにある商店街を散策したのですが、あまりの寒さに3人ともマフラーを頭から被って 「真知子巻き」 にしていた (しかも私は鼻まで隠れるように巻いていた) ため非常に怪しく、すれ違う人々を脅かす存在となっておりました。

歩きながら、道端の屋台で焼き銀杏を一袋買って、それを和やかに争奪しあいながら食べました。

初夢は散々だったけれど、
わりと良い年になりそうな気がします。

1月4日 未明

18歳のとき。

「今までの私の人生は全て無駄になったぁぁぁ!!!」

などと
一瞬思ってしまった、あの瞬間。
泣きながら絶望的に笑って
笑いながら激しく泣いて、
疲れて寝込んだ。

その後も数年間
それまで持っていた 『確固としたもの』 が無くなって
どうしたらよいのか途方に暮れてた。

まあ、あの経験があったからこそ今の私があるわけで、そして勿論 『人生に於いて無駄なことなど一つも無い』 ということも解っているのだけれど

それでもやはり、思い出すたびに 心も身体も ずきずき痛んで、膝の力が抜けてしまっていたのです。

何とかそれを解決しようと、自分の心に向き合って整理しようと努力するのだけれど、身体が震えてまた泣いてしまって、恐くて、どうしても出来なかったのです。

でも昨日
数年の歳月を経て
やっと向き合えた。

いざ向き合ってみると
心の整理作業は
簡単に済んだ。

驚くほど呆気なく。

そうして私は
一連の、自分の心の動きを振り返り
それを じーっと観察して

(おお、これはまさしく
 『時が満ちるのを待つ』
 『そして、時は満ちた』
 等という言葉を使うのが相応しいわい)

などと感嘆している次第。

1月5日 未明

■すきなもの

・野菜
・玄米
・お水
・過不足無い筋肉
・45.6キログラム
・優しげな動物の柔らかいぬいぐるみ
・NHKの自然ドキュメント
・猫
・誠意
・川辺
・防音室


■あまりすきではないもの

・脂肪分
・お砂糖
・体が冷える食物や飲物
・にきび
・ざらざら
・直射日光
・病気
・うるさい音
・見え透いた策略


■きらいなもの

・強制
・たばこ (喉から肩まで腫れて痛くなるから)
・脆弱な私の精神


■いま おもっていること

・こんなリストを挙げたところで何になるというのだ?
・さあね。自己アッピールの一環じゃないでしょうか。
・誰に対してだ?他人にか?自分にか?
・さあ。
・ところで 「自分自身」 はどのカテゴリーに入るのか?
・さあねぇ。
 「すき」 に傾く時期もあれば
 「きらい」 に傾く時期もある。
 「ワケワカメ」 な時期もある。
 今現在の状態に関しては
 まだ評決は下してないみたいですけどね。
・なるほど。これからの努力次第というわけだな。
・そっすね。

1月6日 未明

どうしてネコは12支に入ってないのかなあ?
「ネコ年」とか有ったら、喜び勇んで年賀状にネコを描いて出しまくるのに。

そういえば一昨日、NHKを見ていたら
「ユキヒョウ」という珍しい動物が紹介されていました。

だんだら模様の美しい、大きなネコ風の動物。しっぽが長くてフサフサ。

一目で気に入りました。
どれくらい気に入ったかというと
山道を歩いているとき 突如として目の前にツキノワグマが現れたとしたら、私は必死で戦うか逃げるかして生き延びようとするだろうけれど
もし それがユキヒョウだったなら、もしかしたら、私は静かにユキヒョウを見つめつつ、飛び掛られる瞬間をも甘受してしまうかもしれないと思うくらいに
気に入りました。

ちなみに下の絵のモデルはユキヒョウではなく
知人の飼っているネコです。

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1月7日 未明

年をとってくると、口元の筋肉が衰えて舌が出っぱなしになっちゃうニャンコが時たまいるんだよね。

私の知人が飼っている子(昨日のトップページに載せたニャンコ)も、いつも舌を出しているそうです。

今日は、その子が舌を出したまま寝ている顔を想像して描いてみました。

そういえば、うちで昔飼ってたニャンコも舌をよく出していましたが、あいつの場合は年齢の問題ではなく生まれつき舌が長かったような気がするわ。だって、ミメ麗しい若雌猫の頃から、機嫌よく舌の先端を覗かせていたもの。

というわけで、私も奴らと気持ちを分かつべく 同じように舌を出してみたのですが、数分でパリパリに乾いてきて痛かったです。

猫女への道のりは厳しいのにゃ。


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1月8日 未明

私は残念なことに屈強な身体を持っておりません。
肉でアレルギー、埃でアレルギー、タバコの煙でアレルギー。

それぞれ、とても苦しく 不便なので
「ああ、もう!! ムキーーッ!!!!」
って感じで地団駄を踏みたくなります。

その中でも、特に口惜しく思われるのは
動物の毛に対してのアレルギーがあるということです。

ここ数日の切々とした「日々雑感」からも御察し頂けるとおり、私は猫が大大大好きです。もー、めちゃめちゃ好きです。

幸いなことに相思相愛、たいてい猫からも好かれます。というよりむしろ同類だと思われるらしく、初対面の猫に いきなり背中に飛びつかれたりします。

私も猫になりきって
「にゃーぁーぁーん。にゃー。 ゥアー。」
とか鳴きながら一緒に遊びます。

そんな至福のヒトトキを過ごした後に
私が どうなるかというと

首から手から、蕁麻疹でザラザラ・カユカユ
目は真っ赤、涙ボロボロ
喘息で喉はゼエゼエ、咳ガホガホ
鼻水はナイアガラの滝のごとし・・・・

悲惨な状態に陥るのです。

ままならん。
だから、飼うとしても外猫しか無理なのよね。
眺めて喋りかけて、ちょっと頭を撫でるだけ。
うう。

せめてもの憧憬を込めて
今日もまた絵を描きました。
猫は幸せのモトなのにゃ。

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1月9日 未明

母の上腕に鼻先をくっつけて
くんくんと匂いを嗅いでいたら

「じんましん出さんようにしぃや」

と言われました。

8日の雑感で書いたように、私は動物の毛に対しアレルギーがあるので、彼女はそれをオチョクっている(←これって方言やね。意味判る?)のです。

その言葉を受けて

「ママは、フサフサなん?」

と問うたところ

「うん」

という返事がかえってきました。

その後

「ああ、でもほんまに、『ママ アレルギー』 になったら困るわあ。そんなん、ほんま困るわア。どないしよう?」

と 私が むずがると

母は

「はっはっは」

と笑いながら隣の部屋へ行ってしまいました。

意味不明な問答やわ。
実家では日常茶飯事やけど。

1月10日 未明

オヤシラズを抜いた後、3回目の消毒をするために歯医者さんに行ったら

「うーん、やっぱり、虫歯は全然無いねー」

と言われました。

「はい。虫歯になったこと一回もありませんから」

ニコヤカに答えてはみたものの、もともと私の歯は表面のエナメル質が非常に薄く、本来ならそのエナメル質でコーティングされているはずの象牙質が露出しているところも有るのです。(これって初期の虫歯と同じような状態よね)

だから、ときどき 歯全体が痛くなってしまうことがあります。 まったく、強いのやら弱いのやら・・・・よく分からない妙な歯なので御座います。

さて、歯医者に於ける話の続きですが
傷の消毒を行った後に

「歯のお掃除をしておきましょうねー。これは歯ブラシでも取れない『茶シブ』みたいなものを取る作業ですー。重曹とか使うからね、ちょっとショッパイですよー。我慢できないときは左手を挙げて下さいねー。」

と言われ
タオルをドーナツ状に曲げて顔を覆い、口だけを露出させるという格好で作業が始まりました。

シャー・シャー・ギュイーン・ゲゲゴゴゴ・・・

数分で作業は終わり、

「はい、おだいじに。今日は上の歯だけ掃除したから次は下の歯を掃除しましょうね。」

と次の予約を促されました。

ちなみに医院はいつも空いていて
昨日も患者は私一人だけ。

そんな中、数分で終わる作業なのに、なんで2日に分けて行うんだろう?不思議なのにゃん。

1月11日 未明

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昨日は、母と一緒に 押入れを掘り返していました。
発見されたのは、両親の写真や私の写真(0歳〜直近)、そして母が独身時代に購入した服など。

2歳の私。今の私と同じ顔です。
5歳の私。既に上目遣いの憂鬱な表情が確立されてます。
12歳の私。ものすごいニキビ面です。性格悪そう。
17歳の私。太いです。よくいえば大らか。

昔の両親。サングラスを掛けていたり、肩幅の狭いスーツを着ていたりして、とてもレトロ&スタイリッシュです。両者とも、やはり私に似ています。

夢中になってそれらに見入っていると、怒涛のように過去の記憶が脳を駆け巡り、しばらくすると頭痛がしてきました。あまりにも沢山の刺激を与えすぎたせいかしら?

コーヒーを飲んで少し休んだ後、こんどは衣類に目をむけると、先程まで見ていた昔の写真の中で母が着ていたものが有ったので驚きました。しかも 今でも充分に使えそうな様子。

仕立ての良いものばかりを選んでいた母に感謝しつつ、有り難く頂戴することと相成りました。

引っ張り出した品々を取捨選択して片付け終わるころには もうすっかり夕方になっていて、出土品について語り合いながら晩御飯(筑前煮)を食べました。

そうやって暮れた一日。一歩も外出しなかったけれど、静かな充実感に満ちていました。

1月12日 未明

私は、自分の行動に伴うリスクとリターン、双方併せ呑む心構えは 一応 出来ているつもりだけれど

それでもやはり

ほのかに幸せで穏やかな日常というものを過ごしているときなどには、精神の鎧が薄くなっているせいもあるのか、不覚にも泣きそうになってしまうことがあります。

たとえば、新しい楽譜を買うために、近所の楽器店へ向かって機嫌よく右足と左足を交互に出しながら歩いていった昨日の昼間の記憶。
道中で迷い込んだ丘の上にあった、暖かい小さな陽だまり。楽器店に入った瞬間に私の視界を支配した、楽譜がギッシリ詰まっている素晴らしい本棚。心躍らせながら購入した 「ベルガマスク組曲」 の頁を最初にめくるときに指に伝わってきた、なめらかな紙の感触。

そして今現在、私が実家の暖房の効いた部屋で椅子に座り、鼻から空気を吸ったり吐いたりしているという幸福な事実。
背後では父親がPS2の 「釣りシュレーションゲーム」 に興じていて、右側では母親が健康食品の 「発酵ウコン」 をオブラートに包んでいるという、平和な生活の風景。

何気なくやってきて
さりげなく通り過ぎてしまうのに
途方もなく貴重な、儚く脆いその空間達。

思うだけで涙が出ます。

1月13日 未明

年始に
「実家でもピアノの練習が出来るようにしよう」
という話がまとまったのです。

もともと実家には、私が一人暮らしを始める前に使っていたグランドピアノが有ったのですが、それは数年前、実家 (集団住宅) が建替えられたのに伴って 泣く泣く手放したのです。

建替え前=奇異な長屋
建替え後=普通の団地

小奇麗になったのは万々歳なのですが、道路に向かって 「自主増設」 してあった防音室も、建替えのときに強制的に取り壊されてしまったため、
楽器を置くスペースと 大きな音が出せる環境が奪われてしまったのです。

従って、冒頭のような決意を具現化するのは難しいことのように思われていたのですが、・・・ほんとうに、技術の進歩というのは素晴らしいものですね。高性能電子ピアノという救世主が現れたのですよ。

とはいえ 「弾き心地」 や 「タッチの変化に伴う音色の変化」 に関して、やはり多少の不安と抵抗があったのですが、実際に色々なメーカーの電子ピアノを弾いて調べているうちに考えが変わってきました。

最近の電子ピアノ、悪くないです。
特に、一部の機種に関しては
むしろ縦型ピアノ (いわゆるアップライト) より、価格面・性能面 (イヤホンが使える、デジタル機材に接続出来る、等) を含め総合的に判断した場合、優秀かもしれない と思えるものさえ有りました。

というわけで
昨日、我が家に届いた電子ピアノ様。
畳部屋の隅にキッチリ収まるし
音質のカスタマイズも施せたし
気分は上々です。

1月14日 未明

作業しているうちに疲れてきたので、手を止めて、コタツに脚を突っ込んだまま後方に倒れ、身体を伸ばして力を抜き、目を閉じました。

(少し休もう・・・。)

ガタン、ゴトッ、バタバタバタ

(・・・・・・・・。)

「よっこいしょ、よっこい・いっこい・はっこい・えっこい」

(・・・・・・・・。)

バタバタバタバタ、ドスン

(・・・・・・・・・・。)

ガラガラガラ!
「キャーーーー! えい!くそっ!」

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。)

「♪ガガギギガゲゴゲ ゴゴギギゴーゲゴ
        ギギゴゲギギゴゲ ゲゲゴゲゴー♪」

  ↑注:メロディーは 『アルプスいちまんじゃく』

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!)

ついに笑いをこらえきれなくなった私は、起き上がり、一連の音の発生源である母 (台所にて夕食の準備中) に向かって叫びました。

「寝転んでるだけでも物凄い疲れるわ!」

1月15日 未明

さあさテレホだ。
インターネットの花開く時間帯。
スタート地点は午後11時。
もしくは勇み足で午後10時。

WEBで調べ物をしていたら、あっというまに深夜2時。
仕事をしていたら、あっというまに早朝4時。
熱中していたら、あっというまに午前10時。

「あれ?もう、次の日の朝じゃん!(or昼じゃん!or夕方じゃん!)」

・・・
上記のようなことが起こりやすいのが
独り暮らしの難点のひとつだと思います。

経験上
生活リズムが狂うと
あまり良くありません。
いや、むしろ、かなり良くありません。

最近は気をつけているので
割と寝起きの時間は安定しているのですが

今現在の時刻は午前2時10分。

実家では毎晩、1時〜1時半に寝ていたので
もう既に危険ランプ点灯気味ですね。
急いで寝ます。

っつーか昔は
「夜11時に始まるというテレホタイム設定が諸悪の根源なのだ!」
などと地味に責任転嫁していたものだけれど

いまだにアナログ回線を使いつづけているアホな私。

ADSL導入して昼も繋ぎっぱなし出来るようにしたら
夜更かししなくなるかなあ?

「うーん、もしかしたら、しなくなるかも。」
うひひ。断定はしないでおこう。
どんな場合でも、逃げ道は残しておくのです。

!!!
おおお。そういえば大切なことを書くのを忘れていた。
今日は母親のページで
ささやかなお披露目があるのですよ。
彼女の、日々更新コラムの下のほうに控えめに書かれている 「ニクコップンの歌」 。やはり今回のメインはこれだと思います。どうぞ見てあげてください。

一見の〜価値はある〜♪

1月16日 未明

昼の12時50分から
友達に会って (鈴鹿サーキットクイーン仲間)
びょういんに行って (年始の健康診断)
びよういんに行って (カット&カラー)
また友達に会って (大好きな間宮さん)
午前1時くらいに帰ってきました。

ああ、ギッシリ詰まった一日だった。

それにしても
「病院」と「美容院」って
ひらがなで書くと、『よ』の大きさが違うだけなのね。

地味に驚いた。

と、どうでもいいようなことを述べて
今日の日々雑感はおしまい。
また明日。

1月17日 未明

<おしらせ>

現在、株式会社ダイツーHPにて実施中のプレゼントの応募締切が、1月20日に迫ってまいりました。
私の生写真やデジカメが当ります。
是非ご応募くださいませ。(←クリック!)

また、「まさぽんカレンダープレゼント」は
1月25日までです。
こちらへも是非ご応募ください。(←クリック!)


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昨日は電子レンジを磨きました。

「久し振りに見るもの」 というのは主観が少し抜けているせいか、真の姿を知ってしまうことが ままあるのです。

それが今回は電子レンジだったというわけです。

12月24日から1月14日までを大阪の実家で過ごしていた私が東京に戻り、家の扉を開けたとたんに視野に飛び込んできたのが
埃と油にまみれ 薄笑いを浮かべてでもいるような風情で不気味に佇んでいる、電子レンジの姿だったのです。

「ああ、レンジよ、おまえはこんなに汚かったのか」

呟きながら、キュッキュキュー・キュッキュキュー とリズミカルに電子レンジを磨いてゆきました。

10分の後。
白く美しい電子レンジが蘇りました。

良かった。

この例と反対に
「毎日見るもの」の代表格として
『自分自身の姿』が挙げられると思うんだけど
これは全くもって、いつも私の頭を悩ませる問題です。

だって
私は鏡を見ても
自分が太っているのか
痩せているのか
それすら分からないのだから。

だから基準を設けているのです。
足の親指とカカトを揃えた状態で直立し、太腿の内側に隙間が何ミリ開いているかで判断するのです。

ちなみに、どうやら今は太りすぎらしい。

1月18日 未明

ピアノの練習をしているときに足元が冷えるのを防ぐため、レッグウォーマーを買おうと思って 雑貨店に入ったところ

全然知らないオバちゃんが、いきなり
「ねえ、これ高いわよねえ」
と、私の鼻先に 毛糸のパンツを突きつけてきました。

その毛糸のパンツは 1280円。
『安い』 というのが呼び文句のその店にしては、たしかに高い値段です。

いきなり話しかけられた私は多少狼狽しましたが、あまりにもスムーズに声を掛けられたため、つい
「そうですね。下の段のは400円なのに。」
と、なめらかな返事をかえしてしまいました。

この瞬間、私はオバちゃんと共に毛糸のパンツについて考える運命共同体へと引きずり込まれてしまったのです。

並んで沈黙し、毛糸製品の棚を睨みつける2人。

よく見ると
下の段に置いてある毛糸のパンツは無地で紺色でしたが
オバちゃんが握り締めている毛糸のパンツは模様入りで黄色でした。

だから私はオバちゃんに言いました。

「安い毛糸のパンツは無地です。しかも地味です。それにひきかえ、この毛糸のパンツにはパンダさんの顔が編みこんであります。しかも華やかです。」

すると、オバちゃんは
「ああ、パンダさんの顔の分の料金なのね」

と納得してくれました。

というわけで、私は無事に共同体から解放され
店の外へと出ることができたのでした。

めでたしめでたし。

1月19日 未明

私の友達に

「死が恐くて、死にたくなる」

という人がいました。

確かに、死が現実になったならば、『いつかくる死』 に対する不安は取り除かれる訳ですから、その理論はなんとなく判るような気もします。

とはいえ、完全に心で理解することはできません。
なぜなら私には死に対する不安や恐怖があまり無いからです。

思うに
生まれることと死ぬことの重みは等しく
その甘さと苦さも等しいような気がします。

だから私は呆然と
生きることを受け入れ、死をも受け入れるのです。

日々生きるための努力をしていますが、
ちゃんと遺書も書いてあります。

どちらに対しても準備を怠らないのです。

しかし、自分以外の者の死 となると、話は別です。
私に微笑み掛けている母の顔などを眺めていると、心底、彼女を失うのは嫌だと思いますし、そういうときは、彼女の死、それに伴う漠とした空白に対して恐怖を感じます。

でも、思い返してみると
小学生のときに癌で伯母を、高校生のときに阪神大震災で祖母を亡くし、そのつど私はひどく泣きましたし、強い不在感を味わって いたたまれなかったのですが

そのうち悲しむのを諦めてしまいました。

確かに彼女達は遠いところに行ってしまったけれど
私も彼女達と同じ道の上を歩いていて
いつか同じところへ辿り着くのです。

「好きだったあの人は、もう居ない」
という事実には寂しさを覚えますが
それも暫くの辛抱なのです。

1月20日 未明

昨日、上の日付変えるの忘れてたョー
ばかばかー。ポカポカ (←頭を自分でドツイてる)

ドツイてる・・・・
・・ドツイ・・・
・・・・・ドイツ。

「って、なんでやねん!」
「問答無用。ツッコミは無しよ。」(←独り問答)

というわけで
レンタルビデオ屋さんに行って
チャップリンの 『独裁者』 を借りてきました。

今日はもう眠いので、明晩に見ます。

ついでに本屋に寄って
安部公房の 『壁』 と
宮本輝の 『胸の香り』
を買ってきました。

これも明晩から読みます。

1月21日 未明

パソコンの御機嫌が悪かったので
今日は いつもより少し遅め(朝8時半)の更新です。


昨日は沢山の「知らない人たち」と会いました。
とはいえ「知らない」のは私だけみたいで、彼らは既に打ちとけて、喋ったり笑ったりしていました。

私は、仕事場以外で「知らない人」や
沢山の人間に会うのは久し振りだったので

とりあえず大人しくして
彼らを観察していました。

観察しているうちに数時間が過ぎ
私は「何も与えることなく」帰ってきてしまいました。

・・・・
こういう日もある。

おわり。

1月22日 未明

昨日は物凄い雷雨でした。
狂ったように雨粒を地面に叩きつけ
暗く赤く染まりながら吼える空には真実味があって
それは違和感無く心に馴染み、私は
(ああ、良い天気だ)
と思いました。

ちなみに、日本にありがちな
白い雲の向こうに曖昧な色の青空があるような、優しく穏やかな天気は
静かに潜む不幸を甘受して生きる普通の日々に似ているような気がするので、あまり好きではありません。


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<おしらせ1>
学研「デジタルCAPA」で新企画が始まりましたよ。
どこに載っているかというと
それは120頁〜121頁で御座います。
頑張って書いたので読んで下さい。
おねがいします。

<おしらせ2>
株式会社ダイツーWEB SITE にて実施中の
「まさぽんカレンダープレゼント」応募受付は
1月25日までです。
是非ご応募ください。(←クリック!)

1月23日 未明

やってしまった。

絶対やらないと思ってたことを

やってしまったー

「姉さん達に100の質問」 というモノに
答えてしまった のです。

興味があれば見てみてちょ。

1月24日 未明

『まさぽんスゴロク』


サイコロ:「コロコロコロー」

まさぽん:「2進む。」

スゴロク:「高熱。点滴のため一回休み」

まさぽん:「またかよ!ヲイ」


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