6月4日 未明

テレビ画面に、宇宙船もしくは衛星から見た地球の映像が映ってます。

昔はこういうの大好きだったんだけど。

どれくらい好きだったかというと
中学時代、音楽の時間でさえ理科の教科書を握り締め、太陽系の説明部分を果てしない憧憬の眼差しで、入れこみまくって眺めていて

近づいてきた先生の影に気付かずに

教科書を取り上げられて、バシーンと殴られて
それでもまだ木星の大赤斑に思いを馳せてウットリしているくらいに好きでした。

でも、木星と地球の大きさの違いにゾっとしたことも覚えてる。
だって、木星のマーブル模様の中で、ひときわ目立つ美しい「大赤斑」だけでも短軸1万2千km、長軸2万5千kmの楕円で、地球2個がスッポリ収まってしまう大きさなのですよ!

そのスケール。想像を越えています。
感動に似た心の震えを覚えると共に、あまりにも途方も無いものに対する畏怖の念・・・恐怖を感じてしまいます。

今はそういう感覚のほうが強いかな。

この宇宙に無数の星が有り、いや、銀河が有り、
それが何処までも続いていると考えると

心の中が真っ暗になるのです。

こわい。

自分は宇宙の中でなんと小さなことか。
木星対地球の比じゃ無いぜ。

6月7日 午前4時

一昨日の日付が間違っておりました。
7日、と書いておりました。
未来の日々雑感書いて どないするねん・・・。

さて、今日は割と遅い時間に更新してます。
最近では珍しいことです。

その理由は単に
「仕事から帰ってきて、ベッドに横になったら寝てしまった。そして目が覚めたのが午前3時過ぎ。呆然と風呂に入って、いつのまにやら この時間。」
というだけのことです。

もう眠くて
ただでさえ動きの悪い脳味噌が余計に鈍重になっているので

もう書くのを止めて寝ます。
睡眠の続きを貪ります。

おやすみなさい。


***

おまけ。
先日、
「自分でできるフットケア」
(↓クリック)
表紙

という本を買ったのですよ。

一日中歩いて足が重くなったときの対処法とか
爪先が細い靴を履いたときに発生する痛みの軽減策とか
むくむ足をどうにかする方法とか

脚に関する情報全般(脱毛やスキンケアまで)が、イラストを多用して読みやすく書かれています。

経済の雑誌とか教本とかの間にこういう可愛い色彩の本があると、なんとなく気分がホンワカしますわ。

風呂の有効活用法、足の裏から膝にかけてのマッサージ、ツボ押しなど、即実践できる情報満載で、実用性バツグンです。

6月8日 午前1時38分

昨日は曜日を間違えて書いていた・・・
嗚呼フリーランス生活。

さて
昨日、家に、このようなブツが届いたのですよ。

21.2Kb

私はこれを
『ふみふみマシーン』
と呼んでいますが

正式名称は
『コンパクトステッパー』
らしいです。

私:「わーい。おうちで毎日、有酸素運動が出来るにょら〜。」

というわけで
さっそく踏んでみる。

♪スパー・・・・ごん

最初にシリンダーの音がして、その後カカト部分が盛大な打撃音を鳴り響かせます。

おお、なんと景気の良い騒がしさ。
もうこうなったらヤケだぜ!
ステッパーの音が聞こえないくらいの大音量で音楽を流し、20分間とりつかれたように踏みまくりました。

汗だく。
爽快!

運動後のシャワーが心地よい。
そして茶が美味い。
大満足なのです。

でもこれ、普通のマンションだと絶対に苦情出るだろうな。
ゴンゴンいう類の音って他の部屋にも伝わりやすいし・・・・毛布を敷く等、工夫が必要しょうね。

ちなみに私は防音加工が施された部屋に住んでいるので平気なのさ。
心ゆくまで熱狂的ふみふみ生活を送るのです。

6月10日 午前1時30分

筋トレ以外のスポーツ全般に興味を示さない私ですが
ワールドカップサッカーは一応見てます。
だってやっぱり、気になるもん。

そうそう。それが素直な気持なのに
「こんな時だけ にわかに見るのはミーハー(←死語?)やわ。」
と、ツッパって全然見ないってのは、なんだか意味の無い虚勢のような気がするので御座います。

というわけで
ベルギーと2対2で同点だったことも知ってます。
昨日は0対1でロシアに勝ったことも知ってます。

よかった。
日本人として素直に祝います。
1点を先取して、そのまま試合が終了したときは嬉しかったです。

しかし、炎天下のスタジアム前で長時間 「チケット売ってください」 等 成功する確率の低そうな札を掲げて立ったり、街で暴れたり、次の日の仕事のことを考えずに夜更かしして大騒ぎしたりする人達の気分は、やっぱりあまり理解できないにょら。。。

世の中には色んな人がいるのら。

そういえば先日、そのようなことについて友人のS子ちゃんと2人でシミジミ話していたことを思い出します。

会話を抜粋すると以下の通り。

私:「普通ってなんだろう?」
S:「そんなものは無いんじゃないかな。」

彼女の即答をうけ、私は目からウロコが落ちたような気分になりました。そう、普通なんて基準は無い!みんなオンリーワンなんだ!
私が感嘆の言葉を発しようとした途端、彼女は次のように続けました。

S:「世の中には本当に色んな人がいるよ。例えばさ、テレビに出てくる 『オモチをツルツル飲んじゃう人』 とか、もう 『あんなの有り得ない!』 と思うけど・・・有り得るんだよね。」

絶句。
ワタシ的には有り得ない "例え" に遭遇してしまった。

私:「・・・それを例として挙げる貴女が好きです」

このような友達を持った私はラッキーだと思いました。

ちなみに何故私がサッカーに熱狂する人の気持が分からないかというと、それは単に私が
「最大の興味の対象は常に自分自身」
という性質の持ち主だからでしょう。

それだけのことです。

世の中には色々な人がいるのら。(本日2回目)

6月11日 午後11時30分

生暖かくて湿り気を帯びていてクサい風が吹いている。
きっとこれは、台風の風。
嵐の前の、嫌な感じ。

不穏な空気というのは、まさしくこういうことをいうのだろう。

私は人間と接しているときにも、このような風を感じるときがある。
相手が私を騙そうとしているときとか・・・・むにゃむにゃ・・・(明言は避ける)

何かを始めようとするときにも、このような風を感じることがある。
そんなときは大抵、良い結果には繋がらない。

「女は勘に頼るからねー」
と笑う殿方もいるだろう。

確かに言葉では表しにくい漠然としたものだけど
でもそれは確かなものなのだ。

例えば対人の場合は
相手の目、語調、身体の動き、等すべてが私に教えてくれるのだ。
話の内容が真実では無いということを。

湿った空気が雨を連想させるのと同じ。

6月15日

疲れてる場合じゃないぞ自分

って思うんですけど
やっぱ疲れてるんだろうなー。

こういうときは

1:自分を騙す
2:認めたうえで無理する
3:ちょっぴり休む
4:精神も肉体も完全に休む

のどれが良いのかなー。


「よし!4!」


って言いたいんだけどなー
あとに響くから恐いよなー

でも、「休んだら、あとに響く」
っていうこと自体、固定観念でしか無いのかもなー

うだうだうだ。
言ってる時間が勿体無い。

休んでしまえ。

1日休んで3日分働くのだ。
(そして元の木阿弥?)

6月17日

割と 「死」 というものに対してフレンドリーな私ですが

昨日、電車の窓に映る自分の顔を眺めながら

(あ、この人は死ぬんだ)
と思ったときに、何故か背筋がすうっと冷たくなりました。

それは多分、(今の私には何にも無い。そして死んだら本当に何も無くなる) という囁きが同時に私の脳裏を横切ったせいでしょう。

死神は恐くないけど、何にも無くなるのは恐い。

矛盾するようで矛盾しないこのセンテンス。


自分の最期について考えると
老衰、病死、突然死など様々なバリエーションが浮かびますが

どのパターンでも、
意識が消える瞬間に虚しさを覚えることだけは避けたい。

満足感を得るためにはどうしたらいいんだろう?

思うに、「これから生きる人達の為に何か役に立つものを残した」 という確信をもっていれば、割と安らかに逝くことが出来るような気がするのですが。

何を残すのだ一体。


数年か数十年か先の、その瞬間に向けて
今から何を積み上げれば良いのか。

頭を悩ませる問題は日々尽きず。

6月18日

テレビを見ていたら、「けやきの盆栽の植えかえ」 についての番組が始まりました。

盆栽はなんとなく痛々しい感じもするけれど
非常に美しい。

画面の中では職人さんが、「根が出る場所を変える」とか「根が伸びすぎないようにする」とかの目的にあわせて、幹や根に鋏を入れている。
熟練された丁寧さで作業を進めている。

そうやって大切にされている盆栽のけやき。
さすがに、見るからに形が良い。
均整がとれています。

しかも、そのけやきは、盆栽の器に入ってから何十年も経っているとか・・・・。

すごいわね。やっぱ木なんだもんね。長生き。
こいつは何百年とか生きたりするのかしら?

職人さんから職人さんに受け継がれ、
大切にされて、ずっと生きるのだろうか。

そうして、見る者に
何代にもわたる盆栽職人の手仕事の息吹を感じさせるのだろうか。


盆栽職人って、良い仕事ね。

6月21日 23時36分

腹が減ったときには、水を飲んで我慢してました。
2年前の私。

「一口たりとも間食はしない」
という、自らのルール。

お菓子が欲しくなったときには
(お前は金を払って贅肉を買うのか?「無駄」の上に「悪しき状態」を重ねるような、愚かな行動をとるんじゃない!)
と自分を諌めていました。

でも最近は我慢する日々にも飽きてしまった。
というわけで、先ほどは
空腹を感じたので海藻(めかぶ)を食べました。

いいんでないの、と思います。

最近は
「誘惑に負ける自分をも 時には許す」
ことも多少は必要なのかな、
などと感じているのです。


・・・
とはいえ海藻を食べているところがポイントだね。
完全に許しきってしまうと(好きなだけドカ食いする等・・・)、結果太ったりして 自己嫌悪ですこやかな日々が送れなくなる。そのような事態は避けられるように、微妙にコントロールするのだ。

そこらへんは やはり
規則あってこその自由、って感じだな。

6月22日 1時52分

昨日と今日は
ソフトバンク社 『PC Life』
の女性向け投稿コーナー
【WOMAN生ボイス】
のイラストを描いていたのだよ。

”お題”を貰って、ちょいとひねって、一コマ漫画にするのだ。

それが2枚。

本誌に載るサイズは150ピクセル(4cm )四方なんだけど、PC上では650ピクセル四方で描くのだ。そのほうが印刷したときにキレイらしい。

というわけで、わりかし大きなキャンバスに、ときどき小さいサイズに縮めてバランスを確かめつつ、描いているのです。

でもなー。
真剣に描けば描くほど
「自分って下手やなー」
って思い始めるんよね。

それはピアノと同じや。
頑張って自分のスタイルを着実に確実に磨いてゆくしかないのだろう。

そう。気楽に頑張るのだ。
でも何を? 最近、やるべきことが多すぎて、何をやっていいのか分からなくなってたんだよ。
例えばこの世界に溢れている思想、決まりごと、動きについて。全てを把握するには・・・・哲学・政治・経済・心理・経営etc...を学ぶにはどうしたらいいんだ?
悩みに悩んで、「よくわからない部分」に関しては大学に入りなおして学ぼうかとも考えた。
でも、ここで安易に どこかの政治経済学科に飛び込んだところで、私の悩みは完全には解決されないのだ。

だって
私は常に、将来的に「使える」ものを得るために行動する生き物だから。
大学に入ることによってどういう「使える」ものが得られるのか?
つまりは費用対効果のバランスシート
そこの詰めが、まだ いまいち弱い。

だから大学に入りなおす計画は保留。
明らかな戦略と、それに沿うメリットが見えてきてから行動を起こすべきなのだ。でないと金が勿体無い。

本当に学びたい気持があるなら家でも学べるはずだ。
科目履修という手もある。
現場で叩き上げるという選択肢もある。
一番効果をあげられるのはどの方法か。

臨機応変で私は装着する武器を取り替えるよ。

6月24日 9時19分

自分が書いた文章を読んで
「青臭いなあ。嗚呼」

と思うことがあります。
たとえば22日の雑感とか。

ちなみに
何通かメールいただいたんですけど
私は大学に入りなおすつもりはありませんですよ。


さて
今日は私にとっては、お休みの日なのです。


薄曇りで、ちょっと気温が低めの東京。
何をして過ごそうかな?

6月25日 1時26分

日付を変えるのを忘れてた・・・
そんな昨日は一日、本を読んで過ごしました。

普段私は小説かノンフィクションを多く読み、「人生のヒント」的な本は殆ど読まないのですが(それは人から与えられるものではなく自分で考えるものだと思っているので)、

ふと立ち寄った本屋で何気なく手にとり、ペラペラと頁をめくって、心から離れなくなり

一度は帰りかけたものの

(今日、今、この本を買って帰らなきゃ)

という思いに逆らえずに購入に至ったのが
これ。

5.18Kb

「今日という日の使い方」





読みながら、ときどき泣いてしまった。

「最大の気分転換法も、希望を見つける方法も、実は今のあなたのなかに、ちゃんとあるのです。」

上記は、本の表紙の折り返し部分に書いてある謳い文句。

読書でカウンセリング
って感じよ。

傷つき疲れた人、悲しい気分の人に是非。

6月29日


「高校3年間の英語を10日間で復習する本」
なるテキストを読んでいるのです。

このような
「〜を〜日間で〜する本」
っつー類のものは、絶対にタイトルにて謳われた日数では終わらない。

というのが私の中で定説なんですけど皆様は如何でしょう。

たしかに1日1単元ずつ読める程度の分量だけどさー。
「読んだ」という事実は「次の日にも覚えている」という事実には繋がらないのが悲しき現状でして・・・。

でもまあ、学ぶべきことがコンパクトにまとまっているから独学には向いてるよね。それで良しとしよう。

20日くらいで読み終わることを目標にしますわ。
著者が設定した日数の2倍だけど、気にしなーい。


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