5月1日 未明

去年
「さかな魚サカナ〜♪」
という歌が、大阪・北千里のビブレで一日中流れていました。

最近
うちの近所(東京)のスーパーでも、悪夢のようにこの歌が流れています。しかも複数の店で。

多少イラつきを覚えながらも強制的に この能天気な声の歌を耳に捩じ込まれるとき
脳裏に浮かぶは母の面影。

曲の最後のシメである

「魚は僕らを待っている〜♪」

という意味不明気味の歌詞をプリプリ放出する
天井のスピーカーに向かって

「待っとらんわ!」

と、容赦ないツッコミを入れていた素敵なマイマザー。

最近会ってません。

会いたいですわ。

5月2日 午前2時30分

最近、わりとよく喋っている。

それと反比例するように
文字が出てこなくなっている。

思い返すと
家にこもりきりで、誰とも会わず、誰とも喋らなかった時期ってのは
やはりそれと反比例するように文章を沢山書いていたように思う。

ちょっと前、
「この生命、この宇宙、そもそも『世界』が存在している意味が解らない!」という、どうしようもないような疑問に心を支配されていて、めちゃめちゃ精神状態が不安定になっていたときなど

嘔吐するようにメモを書いたりしていた。

あ、ちなみに
この 「日々雑感」 はあくまでも人目に晒される一種のエンタテイメントだということを認識しているので、本来の私の思想より かなり薄味なんだよ。一応ね。

というわけで

とくに主張したい事柄も見当たらないので
今日はこれでお終い。
また明日。


***


あ、そういえばうちの母親がまた時事ネタで替え歌つくったみたいです。見て笑ってください。彼女のページの、日記下部の「おまけ」っていうところです。
母のページ(←クリック!)

5月3日 未明

他の事を一切考えずに
集中して行うことが出来る作業

「ビーズ細工」

ハマりまくってます。

こんなのとか
2.32Kb

こんなの(オリジナルデザイン)とか
2.19Kb

電車の中でも地味に編んでたりします。

毛糸と違って、段が抜けにくい、そして数えやすいというのも、私がビーズを気に入っている理由の一つです。

母に話すと

「ママも若い頃、毛糸編みにハマったわー。すぐ挫折したけど」

とのこと。
やはり同じようなことをやっていたのね。

こんど私が実家に帰った折には
一緒にビーズを編もうと約束しています。

そのうち原宿あたりで露店出して売るかも〜。
って、 それは冗談。

5月4日 未明

今日は渋谷に行ったんだけど
人が多くて、まともに歩くことも難しく

私は波に巻き込まれた海藻のようになっていました。

そうするうちに、どんどん私の中の何か (感受性とかそういう類のもの) が凍りついてゆくのを感じ、一緒に居た友人に

「こういう場所、好き?」

と訊いてみると

「いや、あまり・・・」

という答えが返ってきた為、続けざまに

「では皆は好きなのだろうか」
と問うてみました。

だって、こんなに栄えているんだもの。
必要とされたから、こんな町が生まれ、そこに人が集まったのだろう。

しかし友人はモゴモゴと口ごもってしまった。

私は貴方にも問う。渋谷の中心部、好きですか?
確かに、大型デパートなど、便利なものが揃ってる。かくいう私も東急ハンズ目当てで渋谷に行ったんだから。

でもメガホンで特売品の値段を連呼するドラッグストアやカラオケ屋の勧誘、意味不明に群れる顔の黒い若者、クラブのスカウト・・・etc.
そして何より空気の悪さ。

出来る限り、あんな場所には行きたくないと思うのです。

5月6日 13:52

昨日は子供の日でしたね。

スーパーで柏餅が売られているのを見て
「まさかあー。まだ3日か4日やろ。気の早いこって。」

と思っていた私。
私が間違っていました。
すんません。

って、誰に謝っているんだーーーーー!!!(1人ツッコミ)

****

さて、ほんとに謝ることが一つ有ります。
この「毎日更新 日々雑感」
昨日は更新しませんでした。

4年以上に渡り毎日 書き続けてきた私ですが
ここにきて、ついに
少し疲れてしまったようです。

でも更新を止めるつもりは無い。
なるべく日々更新します。

ただ、これからは 今回みたいに
一日抜けることがあるかもしれない。

というわけで
また毎日書き続けられるパワーが溜まるまでは

「殆ど毎日更新 日々雑感」

と名称を改めさせて頂きます。
宜しくお願い致します。

5月7日 未明

ゴールデンウィークが終わりましたね。
辟易とした気分で、会社のパソコンからこのWEBを見ていらっしゃる方も多いことでしょう。

そんな皆様に私なりのねぎらいを一つ。

私のCD-ROM写真集の中から、割と好評だった台場に於ける写真を選び、壁紙用にアレンジしてみました。


サンプル
3.32Kb


お使いのモニターの解像度にあわせて選んでください。

640ピクセル×480ピクセル用(28Kb)

800ピクセル×600ピクセル用(40Kb)

1024ピクセル×768ピクセル用(61Kb)

上記のどちらかをクリックし、
画像が表示されたら
画像の上で右クリック→「壁紙に設定」
で、完了です。

5月8日 未明

昨日、2年間通ったスポーツクラブから退会した。

たぶんその行動は、このトップ頁の更新を
「 『必ずしも毎日』 では無くする」 と宣言したのと
(↑6日の雑感参照)
流れを同じくするものなのだろう。

私は何から自分を解き放ち、何処へ行こうとしているのだろうか。

さて!

昨日発売された
「PC Life」 (ソフトバンクパブリッシング) は
是非、見て頂きたい!!!!!

私だらけです。

P154〜157
「達人が教えるビデオテク」は、私の新連載です。

P214〜215
「歌舞伎町に誕生した未来マンガ喫茶の魅力を探れ!」は、モデル兼ライターとしての単発記事です。

P192
「WOMAN生ぼいす」では、イラストレーターとして描かせて頂いてます。

ちなみに、ライターとしての名前は従来どおり
「伊藤雅代」 ですが

イラストレーターとしての名前は
「伊藤まさぽこ」 です。

どうぞ宜しくお願い致します。


      よろず屋・伊藤

5月10日 未明

<伊藤雅代いままでの軌跡:その1>

96年。
『世界的ピアニストになる』
という夢を失った私は、自分のよりどころを失い、途方にくれていた。

「私はピアニストになって何がしたかったのか。
 クラシックピアニストの役割は、過去の偉大なる作曲家が残した楽譜という記号群を読み解き、その作曲家の意図を忠実に再現する (演奏する) いわば
『絵の修復師』 もしくは 『翻訳家』 のようなものだ。
 その作業に対して激しい魅力を感じるかといえば、実は あまり感じない。確かに素敵で、やりがいや達成感にも溢れているのだが、一生の全ての時間を注ぎこむには抵抗を覚える。
 では本当は、私は何がしたいのか。
 ピアニストになった自分を想像するとき、必ず私は舞台上で煌々としたライトに照らされて、熱狂した聴衆の喝采を浴びていた。
 つまり私は人前に出て目立つ仕事がしたいのか。」

そう思い、手探り状態のまま
とりあえず芸能界を目指してみることにした。

つづく

5月11日 未明

<伊藤雅代いままでの軌跡:その2>

芸能界とひとくちに言っても色々ある。私はオーディション雑誌を買ってきて手当たり次第 コンテストに応募してみた。

1万人以上の応募者の中を勝ち抜いて8人のファイナリストに選ばれたこともあったが、それも結局優勝はせず、うやむやに終わった。

芸能プロダクションのオーディションも受けてみたが

「何がやりたいの。女優?歌手?モデル?」

という質問に今ひとつ明解かつ強烈な返事をすることができず、不完全燃焼に陥っていた。

そんな中、ある日 郵便ポストを開けると、一通の封書が入っていた。
差出人は鈴鹿サーキット。

・・・・?
何故にこのようなところから手紙が?

疑問に思いながら封を切り、内容に目を通すと、それは
「97年度鈴鹿サーキットクイーンコンテスト応募用紙」
だった。

本来、これは自分から資料請求しないと送ってこないはずの書類である。 一体 誰が、私にこれを送るように仕向けたんだ・・・?
怪しい。かなり怪しい。

でも、私の手の中には今、応募用紙がある。
これも何かの縁だろう。
つまり受けるっきゃないっしょ。

そう思い、私は おもむろにペンを手にとって応募用紙に氏名等を書き込み始めたのであった。

つづく

5月13日 22時45分

<伊藤雅代いままでの軌跡:その3>

鈴鹿サーキットクイーンコンテストは
数日間に渡り鈴鹿サーキット内のホテルにて行われた。

複数回の非公開面接審査、そして公開で行われる最終ステージ審査。

皆、ホテルに宿泊しているのだが、次の審査に進めないと決まった時点で帰り支度を要求される。

どんどん女の子の数が減っていく様は壮絶だった。

ちなみに私は既に書類審査を経てこのサーキットホテルでのサバイバルバトルに参加しており、なんとか準決勝まで駒を進めていた。残すは決勝のみである。

そんな緊迫した決勝前夜。
昼間に情報交換などをして親しくなった女の子の部屋を尋ねると、まだ22時だというのに全員が寝ていた。(6畳間に4人宿泊)

「明日早いからなあ。肌状態をベストに保たなアカンから」

ダミ声と共に出てきたのは、全然しらない人だった。

「わっ、ごめんなさい。部屋を間違えました!」

「なに言うとんねん、私やがな。」

「え」

確かに声は、昼間の彼女と同じである。
よくよく見ると 眉が無く目も一重になってはいたものの・・・どうやら別人では無いらしかった。

「ごめんなさい、私、コンタクト外すと殆ど見えないから」

適当な言い訳をしてソソクサと自分の部屋に逃げ帰った伊藤雅代であった。


つづく

5月15日 05時08分

今日は普通の雑感だよ。

なんだか最近ビーズやら英会話やら簿記やら哲学やら心理学やら、地味に作業したり勉強したりしてるものが多くて、パソコン離れしてます。

電磁波を浴びないせいか、心なし身軽になったような気がする。(たぶん、あくまで気がするだけ)

ええと・・・私は・・・・変化が好きなのだよ。
4年以上続けてきたWEB運営を少し離れて、他のことがしたいのだよ。

WEB運営を止めることは無いけどね。(←ここポイント)

色々なことをすると、それが私の肥となって、また新しいアイデアが湧いてくる。 それらはまたWEB運営にも活かせることだろう。

やりたいことをやるべきだ。
人生に無駄なことなど何一つ無い。
そして人生全て塞翁が馬。
反省はするけど後悔はしない。
終わりよければ全てよし。
そのためにも戦略は綿密に。

てな感じで、今日はこれでお終い。
また明日。

5月17日 午前2時20分

今日も普通の雑感だよ。
やっぱ回想コラムより、こういうリアルタイムの日記のほうが喜ばれるのかねえ?

まあ、色々織り交ぜつつ やっていきますわん。

昨日はひたすら家で簿記と英語の勉強をしてた。
私は ひとたび熱中しだすと止まらなくなるので
17時に意識を失う(つまり一瞬だけ寝てた)まで、モーレツガリ勉ちゃんになってたよ。

かくいう私は高校から音楽を専攻してたので、普通科目の知識が圧倒的に少ない。

そこで何故、今更 英語を勉強しなおしているのかというと

インターネット上の情報は9割以上が英語っていうでしょう? その9割を知ることが出来ないというのは、物凄く損だと思うのです。

まあ、日本民族に特化して土着の道を極めるってのも悪くない生き方だと思うけど、私は 「世界」 が見たいので、この世に広く流通している言語であるところの English を是非とも習得したいと考えているのだよ。

私は色んな人に会いたい。
私は色んなことに遭遇したい。

ああ。
私は死ぬまでに何を知ることが出来るのだろうか?

5月18日 午前0時41分

<伊藤雅代いままでの軌跡:その4>

いよいよ、サーキットクイーンコンテスト決勝の日。

前夜に歩き方(ウオーキング)や 立ち方(いわゆる"クイーン立ち")の講習があった為か、それとも決勝まで残ったという事実からか、皆それぞれ神経質ながらも自信に満ちた様子で控室に集っていた。

私はというと、ただひたすら皆の身長の高さとスリムさに目を見張っていた。前方から見たときの身体の幅が異様に細いのだ。
比べて私は、通常の生活に於いては「華奢」と言われていたにもかかわらず、彼女達の中に混じると明らかに肋骨の幅が広い。
規定の水着を着て鏡の前に並んで立つと、自分がガッシリ太った体型に見えた。

ちなみに後から知った情報だが、レースクイーンの平均身長は167センチだそうだ。比べて私は159センチ。どおりで引け目を感じるワケである。

さて、20人ほど居たファイナリストだが、その中にはやはり特別に魅力的な女の子が数名居た。

(あの子と、あと・・・あの子は絶対選ばれるなあ)

他の子たちも同じようなことを考えていたようで、至るところで密やかな選別の声が漏れ聞こえていた。

特にA子ちゃん(仮名)に関しては、既にレースクイーン然とした堂々たるその風貌から、当然グランプリもしくは準グランプリになるだろうと予想されており、本人もそう思っている様子だった。

「皆さん、10分後に公開審査が始まりますのでステージに出る準備をして下さい」

この一言が、控室に劇的な変化をもたらした。


つづく

5月20日 午前0時00分

<伊藤雅代いままでの軌跡:その5>

「あと10分で本番です」

その言葉が何かの合図だったかのように、皆が一斉に化粧室に駆け込んでいる。繰り返し睫毛にマスカラを塗り重ねる者、丹念に あぶらとり紙で顔を押さえる者、熱心に眉毛を書き足す者・・・・
「最後の仕上げ」は三者三様どころでは無い騒ぎである。

トイレットペーパーを豪快に巻き取って胸に詰める者もおり、私を驚愕させた。

Y子:「なあ、これでバレへんやんなあ」
Z子:「・・・左がチョット不自然かな」
仲間同士でのチェックも抜かり無い。

そして皆それぞれ、『ピカピカな自分』を抱えて舞台に駆け上ったのである。

あとはただ "決勝戦" という場の持つ異様なパワーに押し流されつつ、前日の夜から暗記した自己紹介を たどたどしくしくマイク向かって放出し、前日の夜に習った「付け焼刃的ウオーキングレッスンの成果」をギクシャクとお披露目し、クラクラしながらも、これまた前日の夜に習った「クイーン立ち」を拠り所として なんとか自分を保っていた。

(舞台のライトとというのは
   こんなにも眩しいものなのか)

私が覚えている舞台上の確かな記憶は、上記の感想程度だ。
それほどまでに、私は場に呑まれていたのである。

・・・・・

全員がスピーチやウオーキングなどのアピール科目を終え、しばらくすると華やかな音楽が鳴り始めた。

私たちは2列に整列させられ、胸に付けたエントリー番号が呼ばれたら前に出るように指示された。

いよいよ合格者の発表なのである。


つづく

5月22日 午前3時

軌跡シリーズは横に置いといて。
今日は普通の雑感なのです。

最近の私は簿記と英語、原稿とイラストに翻弄されながら生活しています。

前者は将来に向けた鍛錬、後者は大切な現在の仕事。

全部楽しいんだけどね、なにせフリーランスという身分なものだから常にギリギリの精神状態で、時々参っちゃいそうになるよ。

いや、フリーランスという立場は自分で選んだものだから、決して後悔してないし、変える気もないし、つまり不満もないんだけどね。

「『選ばれる存在』で居続けなきゃ、後が無い」

っていう生活はエキサイティングでもあり恐ろしくもある。
実に甘美な諸刃の剣なのです。

でも、終身雇用制が崩壊した今の世の中、これは会社に属している人でも同じなんじゃないかな?

そんなことも思ってみたり。

でも、まあ他の人のことはよく分からない。
とりあえず私は自分なりに最善を尽くして有意義に生きようと努力するのみです。

皆さんも色々あるでしょうが、なんとか踏ん張って下さい。

でもやはり、人生は恐いですね。

今日はここまで。
また明日。もしくは明後日に更新します。

5月23日 未明

自分が気分を害したときに

「なにすんのよ!」

などと相手に突っかかるのではなく

「今、貴方がしたことによって、私は傷ついたわ」

と切々と訴えると、ことが荒立たず、人間関係が潤滑に進む。

・・・・というような内容のテレビ番組を去年見たことを漠然と思い出しながら、洗顔後の肌に化粧水を叩き込んでいました。

(ああ)

思い当たることがありました。

うちの母親は感情が強く、どちらかというとバトル現場に於いて上記のような穏やかな会話を繰り出すタイプでは無いのですが

私は母に対して、あまり口答えをしたことがありません。

それは何故か?

「母が傷ついている」ということは、彼女の顔をみれば一目瞭然だからです。

言葉に出さずとも、彼女は全身で自分の感情を表現します。

途切れ途切れになる呼吸、涙を一杯に溜めた目、震える肩・・・・そしてしゃくりあげて、今にも泣きそうなのを堪えて、でもやっぱり堪えきれずに涙がポロポロ。

あまりに可憐で、繊細で、あやうくて
(絶対この人を傷つけちゃいけない)
と子供だった私にも分かりました。

それだけの話。
「難しい会話テクを覚えなくても、素直に曇りなき瞳で、双方の内なる感情を見つめればば万事オッケーなのです」 という良い例ですね。

さて。言葉を使わない、という繋がりで話をすすめましょう。
私は言葉で遊ぶのが好きだけれども、基本的に言葉を嫌っている部分もあります。

音楽で表せる感情は言葉では表せないし
言葉にすると腐ってしまう何かがあるからです。

それが完璧な形で証明され、私がもう20回以上見ている作品を最後に紹介しておきましょう。

「LD」という、今どきレアな逸品なのがタマに傷なのですが・・・・。これ、DVDとかでリメイクされないのかなあ?

■英国ロイヤルバレエ「Romeo&Juliet」
 キャスト:Alessandra Ferri、Wayne Eagling
 収録:1984年
 発売元:パイオニアLDC株式会社
 PCLC−2302 
 税込み5000円

My Favorite です。
これを見ると
言葉は万能じゃないし
そんなに力を持っているわけでもないな。
って思います。
それと共に、彼らの表現力に畏怖の念さえ覚えます。
ボディランゲージは言葉を超えてる。

5月26日 未明

随分と更新をサボっています。
・・・・とはいえ3日ぶりの更新なんだけど。

今までの私からしてみれば、まさしく 「随分と」 パソコン離れしている感じがします。

さて。そんな伊藤の今日1日はと言いますと
午前中は何かに憑かれたように洗濯機を稼動させ(3回)、カーテン、レースカーテン、ベッドカバー等の大物をスッキリと綺麗に洗い上げていました。

天気が良かったので、乾燥機を使わずに外に干そうと思ったんだけど、風が強いから きっと窓や壁に擦れてしまう・・・・そうなると却って洗濯物が汚れてしまう。

というわけで結局ベランダに出て (これは半年振りくらいの稀有な行動!) マンションの外壁部まで磨く羽目になりました。

このようにオーバーヒートした私は、その後
脳貧血を起こして しばらく動けなくなりました。

何をやっておるんだ相変わらず。

夕方になってやっと再起し、豆丼 (その名の通り、大豆を煮て卵でとじたドンブリだ!超ヘルシー@) を作って食い、

今週前半に収録があるデジタルCAPA用のコンテ台本を書いて、今に至っているという次第です。

昼間の脳貧血の名残か、未だに首筋が強張って頭痛がするわい。
それを言い訳にするわけじゃないけど
ほんまに日記みたいなトップ頁でスンマセン。

とりあえず生きてます。
では。また明日か明後日に会いましょう。

5月29日 午前1時30分

「ほぼ毎日」という言葉にも当てはまらなくなってきたこの日々雑感。
2、3日に一回の更新ペースになってますね。

まあ時が満ちればまた毎日更新に戻るのでしょう。

とはいえ
ほんとうに再び「時が満ちる」のかどうかすら今は確実にお約束することは出来ないのだけれど。

さて。
最近ずっと私の頭の中で流れている歌が有ります。

「僕らは古小の子供やでぇ〜」

という歌です。
私が某・古●●小学校(略して古小)の3年生だったころに、6年生たちが作った歌です。

♪あのなあ、あのなあ、聞いてんかー
♪うちーの学校ハダシやでー
♪運動場でもハダシやでー
♪おかげで足は真っ黒けー

そうそう。
くすっ(←わざとらしい思い出し笑い)

私が住んでいた地域は「ハダシ教育」なるものに取組んでいて、保育園でも小学校でも靴を履いてはいけなかったのです。歌のとおり、運動場でも。

当然のように、しょっちゅう足に怪我をしました。画鋲を踏んだり。(嗚呼)

ちなみに

「『うちの学校ハダシやで』
 という箇所は、日本語として少し
 おかしいのではないだろうか」

というのが当時、9歳の私がこの歌を聴いたときに抱いた感想でした。
今でも抱き続けてます。

5月30日 午前1時00分

何が一番大切なのか。

何を一番やりたいのか。

それらを守るために何をすればよいのか。



何の為に生きているのか。

この命は何の為にあるのか。



命は掛けるためにあるのだろうか。
大切な何かを守る為に掛ける命なのだろうか。

5月31日 午前0時00分

シリーズ物 「伊藤雅代の軌跡」 の続きを書きたいんですけど、毎日に忙殺されていて (←これ、ワタシ的には物凄く嫌いな類の言い訳だが敢えて書いてみた) なかなか書けんのです。
すんまそん。

そんな私は明日から沖縄ロケです。

「いいなー。ウラヤマP(←死語)な〜。」

とか言ったアナタ、認識間違ってます。

仕事です。
仕事なんです。
しーごーとー。

ぐほぉっ(吐血)
いや、まだ血は吐いてない。

私が吐いてるのは気炎だ。

ボォォー。(←ドラゴンのイメージ)

まあ辰年生まれだからな。
私の心の中には竜がいるんだよ。

そいつが時々暴れる。

そんなとき私は自分自身のエネルギーに押し潰されそうになって、「私はこのままでは気が狂ってしまうんじゃないか」 という恐怖に打ちひしがれるんだけど

そんな焦燥感こそが私を突き動かしているのだし
まあ、こういう感じで、いつもギリギリで頑張っていたら、きっと出世できることでしょう。(←希望的観測)

壊れない程度に自分を追い詰めて
大切な夢のために命を掛けて
きっといつか、それを掴むんだ!


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